2017年02月01日
ジョン・ウェットンの死を悼む
01
エイジアのヴォーカリストでありベーシストそしてソングライターの
ジョン・ウェットンが亡くなったとの報に接しました。
先ずはスポーツ報知の記事を引用します。
なお、引用者は適宜表記変更や改行などを施しています。
***
1970年代を代表する
プログレッシブ・ロックバンド「キングクリムゾン」や、
80年代に活躍したロックグループ「エイジア」の
ジョン・ウェットンさんが31日、67歳で亡くなった。
「エイジア」の公式ツイッターが同日、
「今朝、ジョン・ウェットンが眠りについたことをお知らせします」
と発表した。
ウェットンさんはがんの治療を受けるため、
活動を一時休止していた。
「エイジア」は元イエスのスティーブ・ハウとジェフ・ダウンズ、
元エマーソン・レイク&パーマーのカール・パーマーと
ウェットンさんの4人で結成され、82年にデビュー。
ウェットンさんはボーカルとベースを務めた。
メンバー全員がスーパーグループでのキャリアを持っていたため、
デビュー当初から注目を集め、ファーストアルバム
「詠時感~時へのロマン」は全米チャートで1位に輝いた。
2ndアルバムからシングルカットされた「ドント・クライ」は
80年代を代表するヒット曲になった
ジェフ・ダウンズは自身のツイッターで
「悲しい一日だ」とつぶやいている。
***
続いてBARKSからの記事を2本。
最初の方は前半が重なるので途中からです。
***
ウェットンは3週間ほど前、癌の治療に専念するため、
3~4月に北米で開催するジャーニーとのジョイント・ツアーに
参加できないと発表したばかりだった。
そのときは、
「当然のこと、エイジアの歴史的ツアーになるのが
わかっているものの始まりを逃すのは残念だが、
年内にはエイジアと共にステージに戻るつもりだ。
長い目で見れば、この決断が自分の健康にとっても
ファンにとっても1番ためになることはわかっている」
と、復帰を誓っていた。
マネージャーからの話として、結腸癌を患っていたと伝えている。
合掌。
***
***
ジョン・ウェットンが亡くなり、エイジアのバンド・メイト、
カール・パーマーとジェフ・ダウンズが追悼の言葉を寄せた
カール・パーマーは、
「僕のいい友人で音楽のコラボレーター、
ジョン・ウェットンが亡くなり、
世界はまたもや音楽の巨人を失った」
と、Twitterを通じ、その死を偲んだ。
「ジョンは穏やかな人で、モダン・ポピュラー・ミュージックで
最も永続的なメロディと歌詞のいくつかを生み出した」
「ミュージシャンとして、彼は勇敢さと革新的なところ
両方を備えていた。
そして、あの声でエイジアの音楽を
世界中のチャートのトップに君臨させた」
「彼の才能、ユーモアのセンス、
あの感染する笑顔がないなんて寂しくなる。
気をつけて行けよ、僕の旧友」
ジェフ・ダウンズは、ウェットンを
「親愛なる友人、ブラザー、バンド・メイト、長年のコラボレーター」
と呼び、
「彼は、世界で最高級の音楽の才能を持つ一人として、
人々の記憶に残るだろう。
僕は、多くの人々と同じように、彼の影響の恩恵を受けた。
長年に渡り、この天才と多くのプロジェクトを一緒にできたのは、
とてつもなく光栄だ。
彼のベース・プレイは革新的だった。
彼の声は神からの贈り物だった。
彼の作曲は――この世のものとは思えなかった。
彼のメロディとハーモニーのセンスは―
―信じられないほど素晴らしかった。
彼は文字通り、“特別”だった」
と、その才能を称えた。
ウェットンは3週間前、癌の治療に専念するため、
しばらくツアーから離脱すると発表し、
ファンから多くのお見舞いの言葉が寄せられていた。
まさか、これほど早くお別れの日が来るとは思われていなかった。
***
昨秋にはグレッグ・レイクも亡くなりましたが、
カール・パーマーはエマーソン・レイク&パーマーにエイジアと
バンド仲間が立て続けに2人、つらいでしょうね。
◇
ジョン・ウェットンと僕との出会いは御多分に漏れずというか、
エイジアでした。
☆
Heat Of The Moment
Asia
1982
当時はビートルズ以外の洋楽を聴き始めたばかりであり、
ビルボードのヒットチャートやビデオクリップを意識し始めた頃、
エイジアの曲、サウンド、アートワークそしてこの映像、
中学生の僕には強烈でした。
デビューアルバムASIAはNo.1に輝いたばかりか、
アルバム年間チャートでも1位ですからね。
僕もその年の終わりくらいにLP買いました。
洋楽で買ったLP最初の10枚には入るでしょう。
(いつものようにビートルズとそのメンバー以外で)。
余談ですが、エイジアの次にビルボードアルバムチャートで
1位になったのがポール・マッカートニーのTUG OF WARで、
その辺のことは「FMファン」で追っていましたが、
ビートルズを聴き始めて最初に出たメンバーのソロアルバムが
1位になったことで嬉しかった。
エイジアは、ポールが蹴落としたということで、
より強く僕の中に刻まれることになったのでした。
エイジアの功績といえばプログレを短くして売れたことでしょうか。
イエスのOwner Of A Lonely Heartが1位になったのだって、
エイジアがあってことだと思うし。
まあ筋金入りのプログレファンには眉唾物かもだけど、
それが同時代だったのだから、やっぱり僕には功績と映ります。
曲は短いけれど要素はしっかりとプログレだから。
また、キーボード=シンセサイザーのサウンドが時代の主流に
躍り出たことにうまく乗れたのもエイジアだったのでしょう。
ビデオクリップ。
そう、これはゴドレー&クレームのものですが、MTV時代になり
ビデオクリップが注目され、エイジアはそこにもうまく乗りました。
音楽業界で10年以上やって来た4人、何かを掴んだのでしょう。
でもこのビデオクリップ、ユーモアというか可笑しいというか、
ジョン・ウェットンの靴に僕は当時大爆笑したものでした。
Heat Of The Momentはスティーヴ・ハウのギターを
耳コピーして演奏しました。
特にサビというかBメロのアルペジオが弾いていて気持ちいい。
ジョン・ウェットンの声は英雄的響きがありながらも
どこかウェットな部分があって(ちょっと駄洒落入れてみました)、
温かみを感じますね。
声も最初から好きになりました。
エイジアの2作目に行く前に少し逸れます。
エイジアがヒットして、その後に出たジョージ・ハリスンの
アルバムGONE TROPPOとそこからの1stシングル
Wake Up My Loveは、トトやエイジア風のキーボード、
と当時言われたものでしたが、それほどまでに影響力大だった。
☆
Wake Up My Love
George Harrison
(1982)
ううん、このイントロは確かに。
ジョージも当時はやる気がなくなっていたそうで、
まあひとつお仕事でやってみるか、みたいな感じかな。
ただこの曲は好きですけどね、アルバムも最高にいい。
なんて、どうしてもビートルズをねじ込みたいのでした(笑)。
閑話休題。
続いて2作目ALPHAから
☆
Don't Cry
Asia
1983
これがね、国内盤LPを予約して買いました。
ロジャー・ディーンのジャケットがきれいで、クラスメートが
貸してほしいというので学校に持って行くのが楽しくて。
朝のクラスルームで展覧会のように眺めて話していました。
しかし、2作目が出た後すぐにスティーヴ・ハウが脱退。
ショックでした、それ以来LP聴かなくなったというくらいに。
(厳密にはLPを録音したカセットテープを、ですが)。
この曲もヒットしましたが、でも、報知の記事を書いた記者さんは
きっと若いのでしょう、リアルタイムで聴いていた者としては、
Don't Cryが「80年代を代表するヒット曲」とはあまり思わない。
それはエイジア自身としてもシーンとしても。
でも、今はそういう伝わり方をしているのかと思うと
興味深い記述ではありますね。
まあそれはともかくもちろんこの曲もいい、大好き。
映画風のビデオクリップはいかにも80年代ですね。
それがお嫌いな方が結構いらっしゃるのも頷けますが。
エイジアは3作目ASTRAから聴かなくなりました。
それが出た時、学校にLPを持ってきていたクラスメートが
いましたが、僕はもう冷めてしまっていました。
それでも当時この曲は結構好き、やっぱりいいと思ったので、
流れとしては入れておきます。
☆
Go
Asia
(1985)
ギターはマンディ・メイヤー、後のカトマンドゥの人ですね。
というか90年代にカトマンドゥのCDを買って聴いてから、
それがエイジア2代目のギタリストだと知ったのですが。
それからジョン・ウェットンは僕の中では
「エイジアの人」になりました、良くも悪くも。
時代を経て僕はキング・クリムゾンも聴くようになりました。
流れとしては遡っていますが、その中でもREDが好き。
そこで歌ってベースを弾いているのがジョン・ウェットン。
☆
Starless
King Crimson
ジョン・ウェットンがいるキング・クリムゾンでは
このアルバムがいちばん好きだし、最後のこの曲で
とどめを刺すといった感じ。
この寂寥感、しかもざらついたハードな手触り。
このアルバムがヘヴィメタルだという人がいらっしゃいますが、
そうですね、言い得て妙、気持ちは分かります。
10年ほど前まではエイジアやクリムゾンは時々聴くくらいで、
それでもエイジアは度々むしょうに聴きたくなっていて、
LP買った2枚では足りないので当時聴かなかった3作目も
聴くようになっていました(それなり以上にいいですね)。
そして2008年。
エイジアはオリジナルメンバーで新しくなった。
☆
An Extraordinary Life
Asia
(2008)
この曲は最初から感動しました。
雑誌か何かで(多分B!誌だと思う)このアルバムや曲についての
ジョン・ウェットンのインタビューを読んだのですが、
心臓手術を行い、生きていることへの感謝の念が強くなった。
その象徴がこの曲だという話でした。
「驚きに満ちた人生」
この曲を聴いてからジョン・ウェットンが人間的に尊敬できる
好きな人になり、爾来、常に彼の健康問題を
気にかけるようにもなりました。
今回は伊藤正則がテレビ番組で、ジョン・ウェットンが全米ツアーに
参加できないと話していたのを聞いて、その影響かと思いましたが、
死の知らせはあまりにも突然だった。
癌で闘病中だったのか。
昨年から特に昔からよく知っている多くのミュージシャンの訃報に
接してきていますが、今回のジョン・ウェットンは、僕の中では
それとは少し違うと感じています。
ミュージシャンよりも人間としての部分で強く打たれた。
僕だってもう体に気をつけなければいけない年齢だし。
そしてジョン・ウェットンは歌を通して生きることの素晴らしさを
語ってくれた、純粋に素晴らしいことだと思う。
ほんとうにあまりにも急なことに残念でならない。
もっと生きてほしかった。
この曲が入った2008年のアルバムPHOENIXは
いい意味での「クサさ」満開で日本人好み。
9年前に記事にしていたので、ご興味がある方は
こちらのリンクから記事をご覧ください。
ここからのエイジアは音楽として素晴らしい作品を作り上げた。
80年代にちょっと人気があった過去のバンドと思っておられる方、
このPHOENIXとその後のOMEGA、XXX、GRAVITASは
ぜひ聴いてほしいです。
僕も今日はPHOENIXとOMEGAを続けて聴きましたが、前者の
3曲目に"This is no time to die"という歌詞があることに気づき、
やはりジョン・ウェットンは生きることの素晴らしさを
身を持って理解したのだと、感動をあらたにしました。
ジョン・ウェットン
安らかにお眠りください。
02
エイジアのヴォーカリストでありベーシストそしてソングライターの
ジョン・ウェットンが亡くなったとの報に接しました。
先ずはスポーツ報知の記事を引用します。
なお、引用者は適宜表記変更や改行などを施しています。
***
1970年代を代表する
プログレッシブ・ロックバンド「キングクリムゾン」や、
80年代に活躍したロックグループ「エイジア」の
ジョン・ウェットンさんが31日、67歳で亡くなった。
「エイジア」の公式ツイッターが同日、
「今朝、ジョン・ウェットンが眠りについたことをお知らせします」
と発表した。
ウェットンさんはがんの治療を受けるため、
活動を一時休止していた。
「エイジア」は元イエスのスティーブ・ハウとジェフ・ダウンズ、
元エマーソン・レイク&パーマーのカール・パーマーと
ウェットンさんの4人で結成され、82年にデビュー。
ウェットンさんはボーカルとベースを務めた。
メンバー全員がスーパーグループでのキャリアを持っていたため、
デビュー当初から注目を集め、ファーストアルバム
「詠時感~時へのロマン」は全米チャートで1位に輝いた。
2ndアルバムからシングルカットされた「ドント・クライ」は
80年代を代表するヒット曲になった
ジェフ・ダウンズは自身のツイッターで
「悲しい一日だ」とつぶやいている。
***
続いてBARKSからの記事を2本。
最初の方は前半が重なるので途中からです。
***
ウェットンは3週間ほど前、癌の治療に専念するため、
3~4月に北米で開催するジャーニーとのジョイント・ツアーに
参加できないと発表したばかりだった。
そのときは、
「当然のこと、エイジアの歴史的ツアーになるのが
わかっているものの始まりを逃すのは残念だが、
年内にはエイジアと共にステージに戻るつもりだ。
長い目で見れば、この決断が自分の健康にとっても
ファンにとっても1番ためになることはわかっている」
と、復帰を誓っていた。
マネージャーからの話として、結腸癌を患っていたと伝えている。
合掌。
***
***
ジョン・ウェットンが亡くなり、エイジアのバンド・メイト、
カール・パーマーとジェフ・ダウンズが追悼の言葉を寄せた
カール・パーマーは、
「僕のいい友人で音楽のコラボレーター、
ジョン・ウェットンが亡くなり、
世界はまたもや音楽の巨人を失った」
と、Twitterを通じ、その死を偲んだ。
「ジョンは穏やかな人で、モダン・ポピュラー・ミュージックで
最も永続的なメロディと歌詞のいくつかを生み出した」
「ミュージシャンとして、彼は勇敢さと革新的なところ
両方を備えていた。
そして、あの声でエイジアの音楽を
世界中のチャートのトップに君臨させた」
「彼の才能、ユーモアのセンス、
あの感染する笑顔がないなんて寂しくなる。
気をつけて行けよ、僕の旧友」
ジェフ・ダウンズは、ウェットンを
「親愛なる友人、ブラザー、バンド・メイト、長年のコラボレーター」
と呼び、
「彼は、世界で最高級の音楽の才能を持つ一人として、
人々の記憶に残るだろう。
僕は、多くの人々と同じように、彼の影響の恩恵を受けた。
長年に渡り、この天才と多くのプロジェクトを一緒にできたのは、
とてつもなく光栄だ。
彼のベース・プレイは革新的だった。
彼の声は神からの贈り物だった。
彼の作曲は――この世のものとは思えなかった。
彼のメロディとハーモニーのセンスは―
―信じられないほど素晴らしかった。
彼は文字通り、“特別”だった」
と、その才能を称えた。
ウェットンは3週間前、癌の治療に専念するため、
しばらくツアーから離脱すると発表し、
ファンから多くのお見舞いの言葉が寄せられていた。
まさか、これほど早くお別れの日が来るとは思われていなかった。
***
昨秋にはグレッグ・レイクも亡くなりましたが、
カール・パーマーはエマーソン・レイク&パーマーにエイジアと
バンド仲間が立て続けに2人、つらいでしょうね。
◇
ジョン・ウェットンと僕との出会いは御多分に漏れずというか、
エイジアでした。
☆
Heat Of The Moment
Asia
1982
当時はビートルズ以外の洋楽を聴き始めたばかりであり、
ビルボードのヒットチャートやビデオクリップを意識し始めた頃、
エイジアの曲、サウンド、アートワークそしてこの映像、
中学生の僕には強烈でした。
デビューアルバムASIAはNo.1に輝いたばかりか、
アルバム年間チャートでも1位ですからね。
僕もその年の終わりくらいにLP買いました。
洋楽で買ったLP最初の10枚には入るでしょう。
(いつものようにビートルズとそのメンバー以外で)。
余談ですが、エイジアの次にビルボードアルバムチャートで
1位になったのがポール・マッカートニーのTUG OF WARで、
その辺のことは「FMファン」で追っていましたが、
ビートルズを聴き始めて最初に出たメンバーのソロアルバムが
1位になったことで嬉しかった。
エイジアは、ポールが蹴落としたということで、
より強く僕の中に刻まれることになったのでした。
エイジアの功績といえばプログレを短くして売れたことでしょうか。
イエスのOwner Of A Lonely Heartが1位になったのだって、
エイジアがあってことだと思うし。
まあ筋金入りのプログレファンには眉唾物かもだけど、
それが同時代だったのだから、やっぱり僕には功績と映ります。
曲は短いけれど要素はしっかりとプログレだから。
また、キーボード=シンセサイザーのサウンドが時代の主流に
躍り出たことにうまく乗れたのもエイジアだったのでしょう。
ビデオクリップ。
そう、これはゴドレー&クレームのものですが、MTV時代になり
ビデオクリップが注目され、エイジアはそこにもうまく乗りました。
音楽業界で10年以上やって来た4人、何かを掴んだのでしょう。
でもこのビデオクリップ、ユーモアというか可笑しいというか、
ジョン・ウェットンの靴に僕は当時大爆笑したものでした。
Heat Of The Momentはスティーヴ・ハウのギターを
耳コピーして演奏しました。
特にサビというかBメロのアルペジオが弾いていて気持ちいい。
ジョン・ウェットンの声は英雄的響きがありながらも
どこかウェットな部分があって(ちょっと駄洒落入れてみました)、
温かみを感じますね。
声も最初から好きになりました。
エイジアの2作目に行く前に少し逸れます。
エイジアがヒットして、その後に出たジョージ・ハリスンの
アルバムGONE TROPPOとそこからの1stシングル
Wake Up My Loveは、トトやエイジア風のキーボード、
と当時言われたものでしたが、それほどまでに影響力大だった。
☆
Wake Up My Love
George Harrison
(1982)
ううん、このイントロは確かに。
ジョージも当時はやる気がなくなっていたそうで、
まあひとつお仕事でやってみるか、みたいな感じかな。
ただこの曲は好きですけどね、アルバムも最高にいい。
なんて、どうしてもビートルズをねじ込みたいのでした(笑)。
閑話休題。
続いて2作目ALPHAから
☆
Don't Cry
Asia
1983
これがね、国内盤LPを予約して買いました。
ロジャー・ディーンのジャケットがきれいで、クラスメートが
貸してほしいというので学校に持って行くのが楽しくて。
朝のクラスルームで展覧会のように眺めて話していました。
しかし、2作目が出た後すぐにスティーヴ・ハウが脱退。
ショックでした、それ以来LP聴かなくなったというくらいに。
(厳密にはLPを録音したカセットテープを、ですが)。
この曲もヒットしましたが、でも、報知の記事を書いた記者さんは
きっと若いのでしょう、リアルタイムで聴いていた者としては、
Don't Cryが「80年代を代表するヒット曲」とはあまり思わない。
それはエイジア自身としてもシーンとしても。
でも、今はそういう伝わり方をしているのかと思うと
興味深い記述ではありますね。
まあそれはともかくもちろんこの曲もいい、大好き。
映画風のビデオクリップはいかにも80年代ですね。
それがお嫌いな方が結構いらっしゃるのも頷けますが。
エイジアは3作目ASTRAから聴かなくなりました。
それが出た時、学校にLPを持ってきていたクラスメートが
いましたが、僕はもう冷めてしまっていました。
それでも当時この曲は結構好き、やっぱりいいと思ったので、
流れとしては入れておきます。
☆
Go
Asia
(1985)
ギターはマンディ・メイヤー、後のカトマンドゥの人ですね。
というか90年代にカトマンドゥのCDを買って聴いてから、
それがエイジア2代目のギタリストだと知ったのですが。
それからジョン・ウェットンは僕の中では
「エイジアの人」になりました、良くも悪くも。
時代を経て僕はキング・クリムゾンも聴くようになりました。
流れとしては遡っていますが、その中でもREDが好き。
そこで歌ってベースを弾いているのがジョン・ウェットン。
☆
Starless
King Crimson
ジョン・ウェットンがいるキング・クリムゾンでは
このアルバムがいちばん好きだし、最後のこの曲で
とどめを刺すといった感じ。
この寂寥感、しかもざらついたハードな手触り。
このアルバムがヘヴィメタルだという人がいらっしゃいますが、
そうですね、言い得て妙、気持ちは分かります。
10年ほど前まではエイジアやクリムゾンは時々聴くくらいで、
それでもエイジアは度々むしょうに聴きたくなっていて、
LP買った2枚では足りないので当時聴かなかった3作目も
聴くようになっていました(それなり以上にいいですね)。
そして2008年。
エイジアはオリジナルメンバーで新しくなった。
☆
An Extraordinary Life
Asia
(2008)
この曲は最初から感動しました。
雑誌か何かで(多分B!誌だと思う)このアルバムや曲についての
ジョン・ウェットンのインタビューを読んだのですが、
心臓手術を行い、生きていることへの感謝の念が強くなった。
その象徴がこの曲だという話でした。
「驚きに満ちた人生」
この曲を聴いてからジョン・ウェットンが人間的に尊敬できる
好きな人になり、爾来、常に彼の健康問題を
気にかけるようにもなりました。
今回は伊藤正則がテレビ番組で、ジョン・ウェットンが全米ツアーに
参加できないと話していたのを聞いて、その影響かと思いましたが、
死の知らせはあまりにも突然だった。
癌で闘病中だったのか。
昨年から特に昔からよく知っている多くのミュージシャンの訃報に
接してきていますが、今回のジョン・ウェットンは、僕の中では
それとは少し違うと感じています。
ミュージシャンよりも人間としての部分で強く打たれた。
僕だってもう体に気をつけなければいけない年齢だし。
そしてジョン・ウェットンは歌を通して生きることの素晴らしさを
語ってくれた、純粋に素晴らしいことだと思う。
ほんとうにあまりにも急なことに残念でならない。
もっと生きてほしかった。
この曲が入った2008年のアルバムPHOENIXは
いい意味での「クサさ」満開で日本人好み。
9年前に記事にしていたので、ご興味がある方は
こちらのリンクから記事をご覧ください。
ここからのエイジアは音楽として素晴らしい作品を作り上げた。
80年代にちょっと人気があった過去のバンドと思っておられる方、
このPHOENIXとその後のOMEGA、XXX、GRAVITASは
ぜひ聴いてほしいです。
僕も今日はPHOENIXとOMEGAを続けて聴きましたが、前者の
3曲目に"This is no time to die"という歌詞があることに気づき、
やはりジョン・ウェットンは生きることの素晴らしさを
身を持って理解したのだと、感動をあらたにしました。
ジョン・ウェットン
安らかにお眠りください。
02
Posted by guitarbird at 18:54
│音楽家追悼記事
この記事へのコメント
ギタバさん、こんばんは。
ジョン・ウェットンさんも逝かれてしまったんやねぇ(;゜∀゜)ゝ”
お名前だけは昔から知っていたのですがギタバさんが
ラジオで紹介された「驚きに満ちた人生」の動画を
見させていただきぐっときてしまいました、合掌。
そしてステーブ・ハウの風貌に似合わぬ素晴らしく
流麗なギターにも感動してしまいました。
そしてからの山鼻ラジオごっちゃんです▽・。・▽ワン!
Eテレで紹介された秀句のあとに拙者の戯れ句が読まれたので恥ずかしかったのですが
ありがとうございます。
でも、今回の聴きどころは「猫二匹~」の句にて
サシナミさんが「えっ、猫ですかぁ」突っ込まれて
ギタバさんがたぶん照れ笑いを浮かべつつも
「いろいろありまして~」と返答されていたシーンでした。
ラジオの醍醐味というのか元締めの表情が
浮かんできてニヤリとさせられましたぜぃ。
ごちそうさまでした▽・。・▽ワン!
では、また4月5日も楽しみに待っておりまする(・ё・)v
ジョン・ウェットンさんも逝かれてしまったんやねぇ(;゜∀゜)ゝ”
お名前だけは昔から知っていたのですがギタバさんが
ラジオで紹介された「驚きに満ちた人生」の動画を
見させていただきぐっときてしまいました、合掌。
そしてステーブ・ハウの風貌に似合わぬ素晴らしく
流麗なギターにも感動してしまいました。
そしてからの山鼻ラジオごっちゃんです▽・。・▽ワン!
Eテレで紹介された秀句のあとに拙者の戯れ句が読まれたので恥ずかしかったのですが
ありがとうございます。
でも、今回の聴きどころは「猫二匹~」の句にて
サシナミさんが「えっ、猫ですかぁ」突っ込まれて
ギタバさんがたぶん照れ笑いを浮かべつつも
「いろいろありまして~」と返答されていたシーンでした。
ラジオの醍醐味というのか元締めの表情が
浮かんできてニヤリとさせられましたぜぃ。
ごちそうさまでした▽・。・▽ワン!
では、また4月5日も楽しみに待っておりまする(・ё・)v
Posted by ぽちわかや at 2017年02月01日 22:23
ぽちわかやさん、こんばんわ
ラジオお聴きいただきありがとうございます!
ジョン・ウェットンですが昨日はいいステレオで大きな音で
この曲が聴けて自分でもかけてよかったと思いました。
(当然のことながらスタジオには大きなスピーカーがあります)。
スティーヴ・ハウはもはや妖怪ですよね(笑)。
でもやっぱりエイジアにはハウですね。
ラジオあらためて、いえいえ、いつも詠ませていただき
ありがとうございます。
次回は途中で書き込みされた句もメモして置いて読みますね、
すいません、今回はせかせてしまいまして。
「猫二匹」の句、ですね。
私もサシナミさんがあのような反応を示すのは予想外で、
まあ言ってもよかったんですがひとまず「いろいろ」と話しました(笑)。
あの句はEテレのにははるかに負けますが自分としては
結構気に入っています。
4月5日もまた直線にお知らせしますのでよろしくお願いします。
札幌から離れた地に愛聴者がいらして嬉しいです。
ラジオお聴きいただきありがとうございます!
ジョン・ウェットンですが昨日はいいステレオで大きな音で
この曲が聴けて自分でもかけてよかったと思いました。
(当然のことながらスタジオには大きなスピーカーがあります)。
スティーヴ・ハウはもはや妖怪ですよね(笑)。
でもやっぱりエイジアにはハウですね。
ラジオあらためて、いえいえ、いつも詠ませていただき
ありがとうございます。
次回は途中で書き込みされた句もメモして置いて読みますね、
すいません、今回はせかせてしまいまして。
「猫二匹」の句、ですね。
私もサシナミさんがあのような反応を示すのは予想外で、
まあ言ってもよかったんですがひとまず「いろいろ」と話しました(笑)。
あの句はEテレのにははるかに負けますが自分としては
結構気に入っています。
4月5日もまた直線にお知らせしますのでよろしくお願いします。
札幌から離れた地に愛聴者がいらして嬉しいです。
Posted by guitarbird at 2017年02月02日 18:29