2017年06月02日
インディ500に勝ったんですよ!
01

月曜日のこと。
僕には珍しく、見るでもなくなんとはなしにテレビをつけていると、
こんな言葉が耳に入ってきました。
「サトウタクマ インディ500 ユウショウ」
僕は最初「はあ、そうだったんだ」と冷静(冷淡)でしたが、
その言葉の意味が分かるにつれ、
「ほんとか! すごい!!」となってきました。
優勝の記事をCNNより引用します。
引用者は適宜表記変更などを施しています。
***
佐藤琢磨、米インディ500で日本人初優勝
米国伝統の自動車レース、
インディアナポリス500マイル(インディ500)は
28日、米インディアナポリスの
インディアナポリス・モータースピードウエーで決勝が行われ、
アンドレッティ・オートスポート所属の佐藤琢磨が優勝した。
日本人として初めてインディ500を制する快挙を成し遂げた。
200周を争うレースの終盤でトップに立った佐藤は、
過去3度の優勝を誇るブラジル人ドライバーの
エリオ・カストロネベスとの接戦を制し、1位でフィニッシュした。
レース後、佐藤は
「信じられない気持ちだ。チームには感謝してもしきれない。
観客もレースを楽しんでくれていたらうれしい」
と喜びを語った。
また
「残り3周になっても勝てるかどうかわからない状況だったが、
とにかくやるしかないと覚悟を決めていた」
と振り返った。
2位のカストロネベスはスポーツ専門局のESPNに対し
「今日は自分にとって少し厳しいレースだった。
琢磨にはおめでとうと言いたい」
と優勝した佐藤を祝福。
自身の走りについては
「本当に厳しく攻めた。アクセルペダルが曲がったと思う。
そのくらい激しく追い込んだ」
と話した。
一方、F1のマクラーレン・ホンダでドライバーを務め、今回
アンドレッティからインディ500に参戦したフェルナンド・アロンソは、
残り21周でマシントラブルに見舞われリタイアした。
アロンソはレース後、ESPNの取材に応じ、
不運な結果に終わったもののインディ500を走れたことは
「自分のキャリアの中で最高の経験のひとつ」
だったと語った。
この日はサーキットに約30万人の観客が詰めかけた。
***
とにかくすごい!
優勝するだけでもとんでもなくすごいことですが、
日本人として言えばもちろん日本人初というのがまさに快挙。
でも、日本では、ネットの一部以外では正直、
あまり盛り上がっていないように感じられます。
僕は観ていなかったのですが、「めざましテレビ」では
話題にしてたそうで、NHKでも話してたかな、でもそれくらい。
僕が思うに、これがどれくらいすごいことかを喩えると、
イチロー選手が大リーグで首位打者になったことと
同等くらいの意味や価値がある快挙だと。
その上でいえば、安打数の大リーグ新記録を打ち立てた
イチロー選手はやっぱり尋常なくすごい人とは思いますが。
または、もしテニスの錦織選手が4大大会で優勝すれば、
これと同じくらいの意味や価値がある、と。
錦織選手は全米オープン準優勝でも盛り上がりましたからね。
しかし、日本ではカーレース、モータースポーツは
あまり重きを置かれていない、広まっていないのかな
と思えばそれもそうかな、という部分はありますが、
(モータースポーツはお金がかかるし)、
とにかくとんでもなくすごいことです。
まあ、僕だってモータースポーツに強い興味があるかというと
そうでもなく、一時F1に凝っていたくらいで、それも過去のこと。
でも、佐藤琢磨選手がインディ500に勝ったのは嬉しいです。
僕は「スーパーカーブーム」世代の人間であり、ブームの頃に
派生でカーレースにも多少の興味を持ちました。
小学生だった当時、TBSテレビで月に1度F1の番組を
放送していて、それを観たのがきっかけでした。
ニキ・ラウダ、ジェイムス・ハント、マリオ・アンドレッティが
強かった(速かった)頃のことですが、今回の佐藤琢磨選手が
アンドレッティのチームから出て勝ったのは、
懐かしいという思いも少しありました。
もっとも、アンドレッティのチームはアメリカでずっと強いらしく、
僕が今のレース事情を追っていないだけのことですが。
その後はたまに地上波テレビ(しかなかったけど)で
カーレースが放送されると観ていました。
インディ500は、中学だったか高校か、やはりTBS、
北海道では系列のHBCで深夜に生中継した時に、
テレビの前で半分寝ながら観ていた記憶があります。
でも、インディ500はオーヴァルコースつまり楕円形の
サーキットをそれこそぐるぐる回るだけだから、
何が面白いんだろうと最初は思ったけれど、
やっぱり観ていると面白かった(でも眠かった)。
インディ500は「世界3大レース」のひとつと言われていますが、
あと2つは、F1のモナコGPとフランスのルマン24時間レース。
ルマンも高校時代にテレビで観た記憶があります。
さて、今日の佐藤琢磨選手関係のニュースを
もうひとつ引用します。
***
佐藤琢磨、道頓堀のグリコ看板に インディ500優勝で
世界3大自動車レースの一つ
「インディアナポリス500マイル」で優勝した佐藤琢磨選手が1日、
大阪・道頓堀の、江崎グリコの電子看板に登場した。
グリコ主催の子ども向けカート教室に
佐藤選手が参加した縁があるという。
トロフィーを持つ画像などが、日没30分後から繰り返し流れる。
7日まで。
800キロを走破する過酷なレース。
「1粒300メートル」が売り文句のグリコなら2666粒にあたる。
「たくさん食べて、強い体になってね」
と担当者。
***
なんかほのぼのとしますね。
こういうことで広く知られて称えられればいいなと思います。
それにしても、グリコ2666粒食べたら胸焼けがひどくて
車の運転どころではなくなりそう(笑)。
◇
後半は音楽、この話題を知ってから僕の頭の中で
ヘヴィローテーションになっている曲を。
☆
From Here To Eternity
Iron Maiden
(1992)
アイアン・メイデンの僕がいちばん好きなアルバム、
1992年のFEAR OF THE DARKからのシングル曲。
メイデンにしては異様に明るくてポップ。
時々こういうのありますね、メイデンは、Wildest Dreamsとか。
ヴァースの部分がほとんどラップなのも時代を感じます。
まあ、サビが歌いやすくて好きな曲ではあります。
曲はブルース・ディッキンソン曰く
「ヘルズ・エンジェルズ」をモチーフにしたとのことで、
ビデオクリップも車ではなくバイクで、メイデンにしては珍しく
女性がたくさん出てくるなど、そんな映像になっています。
「ヘルズ・エンジェルズ」 Hell's Angelsはウィキペディアによれば
「バイクに乗ったマフィア」とのこと。
ローリング・ストーンズがサーキットで行ったコンサートの
警備をしていて事件を起こした「オルタモントの悲劇」により
ロックファンの間には知られています。
ヒッピー時代の話ですが、メイデンではそういうのも珍しい。
まあ、メイデンでは異色な曲の筆頭格でしょうね。
はい、さて、なぜインディ500かというと、
間奏のギターソロの前でブルース・ディッキンソンが喋っていますが、
2'06"の部分で"Gentlemen, start your engines"と言い、
バイクのエンジン音が入ります。
この言葉は、インディ500が始まる時の言葉なのです。
今は時代柄"Ladies and Gentlemen, start your engines"ですが、
メイデンはそうした引用による小ネタがまた楽しいですね。
アイアン・メイデンは映画や小説からの引用も多くありますが、
この曲From Here To Eternityもそれで、同名小説を原作とした
邦題「地上(ここ)より永遠に」という映画。
1953年度アカデミー最優秀作品賞受賞作で、
バート・ランカスター、モンゴメリー・クリフト、デボラ・カー、
フランク・シナトラ、アーネスト・ボーグナインなどが出演する
第2次世界大戦を舞台にとった映画。
メイデンは特に戦争映画からよく取りますね、
Where Eagles Dare『荒鷲の要塞』とか。
でもこの歌の内容は先述のごとくで映画とは関係がない。
"Hell ain't a bad place"というイメージがこの映画と
つながったのかもしれないですね。
作曲者はスティーヴ・ハリスひとりです。
まあそんなこんなで、今は「ヘッル!」とか言いながら(笑)、
気がつくとこの曲を口ずさんでいます。
◇
とここで終わろうと思いましたが、もう1曲あります。
☆
Mary Jane's Last Dance
Tom Petty & The Heartbreakers
トム・ペティのこの曲、歌詞の最初の方に”Indiana"と出てくる。
まあそれだけで、この曲もインディ500とは関係ありません。
そしてインディアナ州といえばコルツ、もちろんですが、
ジャクソン5の出身地でもありますね。
あらためて、佐藤琢磨選手おめでとう!
02

そうそう、インディ500は優勝するとミルクを飲むんですよね。
うちの犬たちには、あげてません。
犬に牛乳あげる時は水で薄める方がいいそうですね。

月曜日のこと。
僕には珍しく、見るでもなくなんとはなしにテレビをつけていると、
こんな言葉が耳に入ってきました。
「サトウタクマ インディ500 ユウショウ」
僕は最初「はあ、そうだったんだ」と冷静(冷淡)でしたが、
その言葉の意味が分かるにつれ、
「ほんとか! すごい!!」となってきました。
優勝の記事をCNNより引用します。
引用者は適宜表記変更などを施しています。
***
佐藤琢磨、米インディ500で日本人初優勝
米国伝統の自動車レース、
インディアナポリス500マイル(インディ500)は
28日、米インディアナポリスの
インディアナポリス・モータースピードウエーで決勝が行われ、
アンドレッティ・オートスポート所属の佐藤琢磨が優勝した。
日本人として初めてインディ500を制する快挙を成し遂げた。
200周を争うレースの終盤でトップに立った佐藤は、
過去3度の優勝を誇るブラジル人ドライバーの
エリオ・カストロネベスとの接戦を制し、1位でフィニッシュした。
レース後、佐藤は
「信じられない気持ちだ。チームには感謝してもしきれない。
観客もレースを楽しんでくれていたらうれしい」
と喜びを語った。
また
「残り3周になっても勝てるかどうかわからない状況だったが、
とにかくやるしかないと覚悟を決めていた」
と振り返った。
2位のカストロネベスはスポーツ専門局のESPNに対し
「今日は自分にとって少し厳しいレースだった。
琢磨にはおめでとうと言いたい」
と優勝した佐藤を祝福。
自身の走りについては
「本当に厳しく攻めた。アクセルペダルが曲がったと思う。
そのくらい激しく追い込んだ」
と話した。
一方、F1のマクラーレン・ホンダでドライバーを務め、今回
アンドレッティからインディ500に参戦したフェルナンド・アロンソは、
残り21周でマシントラブルに見舞われリタイアした。
アロンソはレース後、ESPNの取材に応じ、
不運な結果に終わったもののインディ500を走れたことは
「自分のキャリアの中で最高の経験のひとつ」
だったと語った。
この日はサーキットに約30万人の観客が詰めかけた。
***
とにかくすごい!
優勝するだけでもとんでもなくすごいことですが、
日本人として言えばもちろん日本人初というのがまさに快挙。
でも、日本では、ネットの一部以外では正直、
あまり盛り上がっていないように感じられます。
僕は観ていなかったのですが、「めざましテレビ」では
話題にしてたそうで、NHKでも話してたかな、でもそれくらい。
僕が思うに、これがどれくらいすごいことかを喩えると、
イチロー選手が大リーグで首位打者になったことと
同等くらいの意味や価値がある快挙だと。
その上でいえば、安打数の大リーグ新記録を打ち立てた
イチロー選手はやっぱり尋常なくすごい人とは思いますが。
または、もしテニスの錦織選手が4大大会で優勝すれば、
これと同じくらいの意味や価値がある、と。
錦織選手は全米オープン準優勝でも盛り上がりましたからね。
しかし、日本ではカーレース、モータースポーツは
あまり重きを置かれていない、広まっていないのかな
と思えばそれもそうかな、という部分はありますが、
(モータースポーツはお金がかかるし)、
とにかくとんでもなくすごいことです。
まあ、僕だってモータースポーツに強い興味があるかというと
そうでもなく、一時F1に凝っていたくらいで、それも過去のこと。
でも、佐藤琢磨選手がインディ500に勝ったのは嬉しいです。
僕は「スーパーカーブーム」世代の人間であり、ブームの頃に
派生でカーレースにも多少の興味を持ちました。
小学生だった当時、TBSテレビで月に1度F1の番組を
放送していて、それを観たのがきっかけでした。
ニキ・ラウダ、ジェイムス・ハント、マリオ・アンドレッティが
強かった(速かった)頃のことですが、今回の佐藤琢磨選手が
アンドレッティのチームから出て勝ったのは、
懐かしいという思いも少しありました。
もっとも、アンドレッティのチームはアメリカでずっと強いらしく、
僕が今のレース事情を追っていないだけのことですが。
その後はたまに地上波テレビ(しかなかったけど)で
カーレースが放送されると観ていました。
インディ500は、中学だったか高校か、やはりTBS、
北海道では系列のHBCで深夜に生中継した時に、
テレビの前で半分寝ながら観ていた記憶があります。
でも、インディ500はオーヴァルコースつまり楕円形の
サーキットをそれこそぐるぐる回るだけだから、
何が面白いんだろうと最初は思ったけれど、
やっぱり観ていると面白かった(でも眠かった)。
インディ500は「世界3大レース」のひとつと言われていますが、
あと2つは、F1のモナコGPとフランスのルマン24時間レース。
ルマンも高校時代にテレビで観た記憶があります。
さて、今日の佐藤琢磨選手関係のニュースを
もうひとつ引用します。
***
佐藤琢磨、道頓堀のグリコ看板に インディ500優勝で
世界3大自動車レースの一つ
「インディアナポリス500マイル」で優勝した佐藤琢磨選手が1日、
大阪・道頓堀の、江崎グリコの電子看板に登場した。
グリコ主催の子ども向けカート教室に
佐藤選手が参加した縁があるという。
トロフィーを持つ画像などが、日没30分後から繰り返し流れる。
7日まで。
800キロを走破する過酷なレース。
「1粒300メートル」が売り文句のグリコなら2666粒にあたる。
「たくさん食べて、強い体になってね」
と担当者。
***
なんかほのぼのとしますね。
こういうことで広く知られて称えられればいいなと思います。
それにしても、グリコ2666粒食べたら胸焼けがひどくて
車の運転どころではなくなりそう(笑)。
◇
後半は音楽、この話題を知ってから僕の頭の中で
ヘヴィローテーションになっている曲を。
☆
From Here To Eternity
Iron Maiden
(1992)
アイアン・メイデンの僕がいちばん好きなアルバム、
1992年のFEAR OF THE DARKからのシングル曲。
メイデンにしては異様に明るくてポップ。
時々こういうのありますね、メイデンは、Wildest Dreamsとか。
ヴァースの部分がほとんどラップなのも時代を感じます。
まあ、サビが歌いやすくて好きな曲ではあります。
曲はブルース・ディッキンソン曰く
「ヘルズ・エンジェルズ」をモチーフにしたとのことで、
ビデオクリップも車ではなくバイクで、メイデンにしては珍しく
女性がたくさん出てくるなど、そんな映像になっています。
「ヘルズ・エンジェルズ」 Hell's Angelsはウィキペディアによれば
「バイクに乗ったマフィア」とのこと。
ローリング・ストーンズがサーキットで行ったコンサートの
警備をしていて事件を起こした「オルタモントの悲劇」により
ロックファンの間には知られています。
ヒッピー時代の話ですが、メイデンではそういうのも珍しい。
まあ、メイデンでは異色な曲の筆頭格でしょうね。
はい、さて、なぜインディ500かというと、
間奏のギターソロの前でブルース・ディッキンソンが喋っていますが、
2'06"の部分で"Gentlemen, start your engines"と言い、
バイクのエンジン音が入ります。
この言葉は、インディ500が始まる時の言葉なのです。
今は時代柄"Ladies and Gentlemen, start your engines"ですが、
メイデンはそうした引用による小ネタがまた楽しいですね。
アイアン・メイデンは映画や小説からの引用も多くありますが、
この曲From Here To Eternityもそれで、同名小説を原作とした
邦題「地上(ここ)より永遠に」という映画。
1953年度アカデミー最優秀作品賞受賞作で、
バート・ランカスター、モンゴメリー・クリフト、デボラ・カー、
フランク・シナトラ、アーネスト・ボーグナインなどが出演する
第2次世界大戦を舞台にとった映画。
メイデンは特に戦争映画からよく取りますね、
Where Eagles Dare『荒鷲の要塞』とか。
でもこの歌の内容は先述のごとくで映画とは関係がない。
"Hell ain't a bad place"というイメージがこの映画と
つながったのかもしれないですね。
作曲者はスティーヴ・ハリスひとりです。
まあそんなこんなで、今は「ヘッル!」とか言いながら(笑)、
気がつくとこの曲を口ずさんでいます。
◇
とここで終わろうと思いましたが、もう1曲あります。
☆
Mary Jane's Last Dance
Tom Petty & The Heartbreakers
トム・ペティのこの曲、歌詞の最初の方に”Indiana"と出てくる。
まあそれだけで、この曲もインディ500とは関係ありません。
そしてインディアナ州といえばコルツ、もちろんですが、
ジャクソン5の出身地でもありますね。
あらためて、佐藤琢磨選手おめでとう!
02

そうそう、インディ500は優勝するとミルクを飲むんですよね。
うちの犬たちには、あげてません。
犬に牛乳あげる時は水で薄める方がいいそうですね。
2017年04月08日
横綱稀勢の里グッズ新作
01

弟が東京に行って来ました。
お土産に、両国国技館で、
第72代横綱稀勢の里グッズを買ってきてくれました。
02

03

イラストキーホルダー
土俵がついていて、そこに立てておくことができます。
確か「ジャポニカ学習帳」の表紙に
この絵が使われているはず。
その「ジャポニカ学習帳」、ものすごい人気で今品切れ、
国技館でも5月入荷予定なのだそうで。
はい、僕も買おうと思っていますが・・・(笑)。
このイラストは雰囲気よく出ていますよね、好きです。
04

携帯画面クリーナー
これって最近グッズの定番化してますよね。
僕は使ったことがないのですが。
もちろんというかもったいないのでこれは使わない。
05

稀勢の里フィギュアキーホルダー
僕のお気に入りのこれ、まわしが赤いのを持っていますが、
新たに青いものに代わっていました。
ううん、それにしても似てない。
06

2つあるので、稀勢の里同士での取り組みも可能になりました。
07

シリコン製がま口
01が表、07が裏、面白いですね。
ただこれは弟が自分で使うので、僕のお土産ではないのですが。
僕も両国国技館に行ってみたくなりました。
できれば稀勢の里の取り組みを。
でも、チケット入手できないかな。
08

そして4日前の3ショット。
夕方に撮るとなんとなく勇ましく見えませんか?
だから稀勢の里の記事にはちょうどいいと思って。

弟が東京に行って来ました。
お土産に、両国国技館で、
第72代横綱稀勢の里グッズを買ってきてくれました。
02

03

イラストキーホルダー
土俵がついていて、そこに立てておくことができます。
確か「ジャポニカ学習帳」の表紙に
この絵が使われているはず。
その「ジャポニカ学習帳」、ものすごい人気で今品切れ、
国技館でも5月入荷予定なのだそうで。
はい、僕も買おうと思っていますが・・・(笑)。
このイラストは雰囲気よく出ていますよね、好きです。
04

携帯画面クリーナー
これって最近グッズの定番化してますよね。
僕は使ったことがないのですが。
もちろんというかもったいないのでこれは使わない。
05

稀勢の里フィギュアキーホルダー
僕のお気に入りのこれ、まわしが赤いのを持っていますが、
新たに青いものに代わっていました。
ううん、それにしても似てない。
06

2つあるので、稀勢の里同士での取り組みも可能になりました。
07

シリコン製がま口
01が表、07が裏、面白いですね。
ただこれは弟が自分で使うので、僕のお土産ではないのですが。
僕も両国国技館に行ってみたくなりました。
できれば稀勢の里の取り組みを。
でも、チケット入手できないかな。
08

そして4日前の3ショット。
夕方に撮るとなんとなく勇ましく見えませんか?
だから稀勢の里の記事にはちょうどいいと思って。
2017年03月26日
稀勢の里すごすぎる!
01

大相撲春場所(大阪場所)
横綱稀勢の里奇跡の逆転優勝!
13日目の日馬富士戦で敗れて左腕を痛め、
14日目の鶴竜戦ではまるで勝負にならず敗戦。
15日目の照ノ富士戦もこれでは勝てないだろう、と。
ところが、本割で勝ち、優勝決定戦でも勝って、優勝。
テレビを観ながらどちらの取り組みも
横綱が勝った瞬間に声を上げてしまった。
そして表彰式の「君が代」斉唱で涙を流す横綱稀勢の里を観て
こちらももらい泣きしてしまいました。
スポーツ(厳密には違うけれど)を観て涙を流したのは
いつ以来だろう。
優勝おめでとう!
感動ありがとう!
今日はもうそのことしか考えられなくなったので、
稀勢の里フィギュアと犬たち3枚で終わります。
02

ハウとキセ。
フィギュアも前より勇ましく見える。
03

ポーラとキセ。
顔力だけならポーラも勝負になるか。
04

マーサとキセ。
マーサは写真を撮る時にあごを下につけるのが嫌みたいで、
こうするしかなかった。
困るぞ、そんなことじゃ。

大相撲春場所(大阪場所)
横綱稀勢の里奇跡の逆転優勝!
13日目の日馬富士戦で敗れて左腕を痛め、
14日目の鶴竜戦ではまるで勝負にならず敗戦。
15日目の照ノ富士戦もこれでは勝てないだろう、と。
ところが、本割で勝ち、優勝決定戦でも勝って、優勝。
テレビを観ながらどちらの取り組みも
横綱が勝った瞬間に声を上げてしまった。
そして表彰式の「君が代」斉唱で涙を流す横綱稀勢の里を観て
こちらももらい泣きしてしまいました。
スポーツ(厳密には違うけれど)を観て涙を流したのは
いつ以来だろう。
優勝おめでとう!
感動ありがとう!
今日はもうそのことしか考えられなくなったので、
稀勢の里フィギュアと犬たち3枚で終わります。
02

ハウとキセ。
フィギュアも前より勇ましく見える。
03

ポーラとキセ。
顔力だけならポーラも勝負になるか。
04

マーサとキセ。
マーサは写真を撮る時にあごを下につけるのが嫌みたいで、
こうするしかなかった。
困るぞ、そんなことじゃ。
2017年01月28日
第72代横綱稀勢の里はNFLが好きらしい
01

大相撲初場所は大関稀勢の里が14勝1敗で涙の初優勝。
場所後に横綱に推挙され、この度晴れて
第72代横綱となりました。
よかったぁ、嬉しい。
僕は元の親方で6年前(もうそんな前か)に急逝された
元横綱隆の里がいちばん好きなお相撲さんだったこともあって、
中学卒業後角界入りし「萩原」の四股名で相撲を取り始めてから、
稀勢の里関をずっとずっとずぅ~と応援してきました。
そうです、ずっとではありません、ずっとずっとずぅ~と。
30歳になってまだ一度も優勝経験がない。
年齢を考えるともうこのまま「名大関」で終わってしまうのかな、
いや、僕が知る限り「名大関」で終わった人の中でも、先代貴ノ花、
魁傑、琴風、朝潮、小錦、武双山、魁皇、琴欧州等ほとんどの大関は
優勝経験がある上に、現役の照の富士、琴奨菊、豪栄道にまで
優勝では先を越されていただけに、諦めかけていました。
ごめんなさい、諦めるのが早すぎた。
今場所は大関がひとり陥落ひとり負け越しひとり休場、
横綱も2人休場そしてひとり本調子ではないとはいえ、
見事、優勝してくれました、うれしいですね。
稀勢の里関は以前から「取りこぼし」で優勝できなかった。
もうこれは「悪癖」とまでいえるものでしたが、初場所に限っては、
唯一の敗戦が当時同等の大関でしたから、取りこぼしをしなかった。
これがやっぱり大きいんでしょうね。
もっとも、負けた相手が負け越して大関陥落した相手だから
ある意味「取りこぼし」だったといえるのかもしれないけれど・・・
この1週間はテレビと新聞で稀勢の里関を追っていました。
昨日の明治神宮奉納土俵入りには18,000人が来たそうで、
土曜日だった横綱貴乃花の2万人に次ぐ人出だったとか。
僕も東京にいれば行きたかった。
ファンとして嬉しいし、何より本人が嬉しそうでよかった。
横綱稀勢の里は、というのはまだ微妙に違和感がある(笑)、
稀勢の里関は横綱昇進が決まった後のインタビューで、
自分は体が丈夫でまだまだ若いし伸びしろがあると自ら
語っていたのは心強かったです。
稀勢の里はまあ古き良き日本人像を今に体現している人ですよね。
きっとすごく優しい人であり、だから人を押しのけてまで優勝を、
というしたたかさに欠けていたのでは、ともっぱらの評。
相撲もすべて「ガチンコ」だというし(まあ当たり前でしょうけど)。
稀勢の里関の人気があるのがあらためて分かりました。
写真01は、3年前に東京の両国国技館に大相撲を観に行った
弟にお土産としてもらった稀勢の里キーホルダー。
マクロレンズで撮っているので大きさが分からず、もしかして
等身大の人形かと思われたかもしれないですが・・・
02

実際は親指くらいのものです、ご安心を。
等身大が家にあったらもう居る場所ありませんから(笑)。
いやあ、それにしても似てないですよね。
これでも目が大き過ぎる(笑)。
ところで、稀勢の里関についてある話を聞きました。
稀勢の里関はNFLが好きらしい。
最近には珍しく色付き大文字で書いてしまいました!!!
情報元は、CS日テレG+(ジータス)と地上波でも放送している
オードリー司会の「NFL倶楽部」という番組。
番組では最後の方に「春日の2 minutes warning」と題して
オードリーの春日がクイズを出すコーナーがあります。
ちなみに"2 minutes warning"とは、NFLの試合で、
前半終了前の第2クォーターと試合終わり前の第4クォーターが
残り2分になったところで試合が止められるオフィシャルの
タイムアウトのことで、最後の作戦を練るという重要な時間。
ちなみに女性アナウンサーは「ワーニング」と発音していますが、
「ウォーニング」がより正しい発音、というのは余談。
1月26日の放送で春日さんが出した問題。
「最近新聞を賑わせている人でNFLが大好きな人がいます」
オードリー若林さんと女子アナウンサーは即座に口を揃えて
「稀勢の里関!!」
すぐに答えられた春日さんは黙り込んでしまいましたが、
正解、NFLが好きな人は稀勢の里関!!
知らなかった!!
ほんと、こんな嬉しいことはない!!
早速ネット検索すると、日刊スポーツの過去の記事
2つに当たりました。
引用します。
なお、引用者は改行や表記変更などを適宜施しています。
ひとつめ
***
アメフト大好き稀勢の里 初TV解説に照れ笑い
アメリカンフットボール日本選手権「ライスボウル」
オービック21―15関学大
(2013年1月3日 東京ドーム)
アメリカンフットボールの大ファンを自任する大相撲の
大関・稀勢の里が日本選手権のテレビ中継のゲストを務めた。
着物姿で放送席から身を乗り出す場面もあり
「オービックの横綱相撲に挑む関学大の
スペシャルプレーに魅了された。
目の当たりにできて良かった」
と敗者を称えた。
数年前からNFLの衛星放送を全て録画しており
「いろんな動きがあり、
球技なのに全身で激しく当たり合うところが面白い」。
スポーツ中継の放送席は初体験で
「相撲のことをしゃべるのとは全然違う。
もっと勉強しないと」
と照れ笑いしていた。
[ 2013年1月4日 06:00 ]
***
ふたつめ
***
稀勢の里が惚れたアメフトの知将
稀勢の里を叱咤(しった)激励してきた“知将”が大阪にいる。
関学大アメリカンフットボール部を9度の大学日本一に導いた
鳥内秀晃監督(57)だ。
知り合ったのは、アメフット好きの稀勢の里が13年1月、
日本選手権ライスボウルで解説を務めた後だった。
大阪市内でうどん製麺業を営む鳥内監督は、春場所前には
田子ノ浦部屋を訪れ、うどん100人前を差し入れる。
同時に“喝”も入れる。
「どんな男になりたいんや!」
といつも学生を奮い立たせている同監督は、
大関にも本音でぶつかる。
迷いがありそうな時は「考え過ぎるな」とはっきり言う。
稀勢の里も同監督を慕い、関学大グラウンドでパス練習したり、
居酒屋で語り合うこともある。
(2016年3月)24日、稀勢の里は手痛い2敗目を喫した。
だが、観戦した鳥内監督は
「ようやく人の意見を聞くようになったんちゃうかな。
琴奨菊の優勝で変わったんちゃうか」
と見る。
稀勢の里に紹介した大阪の整体師が1月に急死したが、
大関は律義に場所前に花を供えに出向いたという。
「義理堅い男なんや」
と同監督も大関にほれている。
残りは3日。
終了間際の逆転タッチダウンのような劇的ドラマを、
アメフット界の知将も期待している。
***
なるほど、そういうつながりなのですね。
もう4年も前からのことですが、知らなかった。
NFLの試合をすべて衛星で録画しているということですが、
選手の動きを相撲にも生かそうと研究しているのは
さすが稀勢の里とあらためて感心しました。
ところで、稀勢の里関はNFLのどの選手が好きなのかな?
やはり体がどっしりとしたオフェンシヴラインか
ディフェンスのラインもしくはラインバッカーではないかな。
ということで意外と、カンザスシティ・チーフスのラインバッカー、
ジャスティン・ヒューストンかもしれない、とこれは希望的観測。
まあ、ラインバッカーならデンバー・ブロンコスのボン・ミラーか、
やっぱりヒューストン・テキサンズのJ.J.ワットかな。
番組では春日さんも言っていましたが、
人気がある稀勢の里関が好きだということで、
日本でももっとNFLが注目され人気が出てほしいですね。
まあ、そのためには日本人選手が出ることが必要でしょうけど。
世間的には日本人からNFL選手が出るなら、日本人並みの
体格の選手も活躍しているオフェンスのワイドレシーバーか
ディフェンスのコーナーバックかセーフティと言われていますが、
僕は、足の速い力士がいればオフェンスのラインの選手か、
ディフェンスのラインもしくはラインバッカーで活躍できそうな人が
出てこないかな、と密かに思っています。
日本人ではないけれど元横綱朝青龍なんて、あの運動神経、
ラインバッカーいけたのではないかと勝手に想像しています。
2016年の記事の時は結果的に優勝はできなかった。
それから優勝まで5場所もかかった。
かかったけれど、かかったからこそ、
やっぱり今回の優勝と横綱昇進は嬉しい限りですね。
自らまだまだ若いと言っている稀勢の里。
こうなったら優勝10回を目指してほしいですね。
僕のいちばん好きな相撲取り、それは稀勢の里関です。
03

最後は今朝の3ショット。
稀勢の里関のスペースを空けてあります!!!

大相撲初場所は大関稀勢の里が14勝1敗で涙の初優勝。
場所後に横綱に推挙され、この度晴れて
第72代横綱となりました。
よかったぁ、嬉しい。
僕は元の親方で6年前(もうそんな前か)に急逝された
元横綱隆の里がいちばん好きなお相撲さんだったこともあって、
中学卒業後角界入りし「萩原」の四股名で相撲を取り始めてから、
稀勢の里関をずっとずっとずぅ~と応援してきました。
そうです、ずっとではありません、ずっとずっとずぅ~と。
30歳になってまだ一度も優勝経験がない。
年齢を考えるともうこのまま「名大関」で終わってしまうのかな、
いや、僕が知る限り「名大関」で終わった人の中でも、先代貴ノ花、
魁傑、琴風、朝潮、小錦、武双山、魁皇、琴欧州等ほとんどの大関は
優勝経験がある上に、現役の照の富士、琴奨菊、豪栄道にまで
優勝では先を越されていただけに、諦めかけていました。
ごめんなさい、諦めるのが早すぎた。
今場所は大関がひとり陥落ひとり負け越しひとり休場、
横綱も2人休場そしてひとり本調子ではないとはいえ、
見事、優勝してくれました、うれしいですね。
稀勢の里関は以前から「取りこぼし」で優勝できなかった。
もうこれは「悪癖」とまでいえるものでしたが、初場所に限っては、
唯一の敗戦が当時同等の大関でしたから、取りこぼしをしなかった。
これがやっぱり大きいんでしょうね。
もっとも、負けた相手が負け越して大関陥落した相手だから
ある意味「取りこぼし」だったといえるのかもしれないけれど・・・
この1週間はテレビと新聞で稀勢の里関を追っていました。
昨日の明治神宮奉納土俵入りには18,000人が来たそうで、
土曜日だった横綱貴乃花の2万人に次ぐ人出だったとか。
僕も東京にいれば行きたかった。
ファンとして嬉しいし、何より本人が嬉しそうでよかった。
横綱稀勢の里は、というのはまだ微妙に違和感がある(笑)、
稀勢の里関は横綱昇進が決まった後のインタビューで、
自分は体が丈夫でまだまだ若いし伸びしろがあると自ら
語っていたのは心強かったです。
稀勢の里はまあ古き良き日本人像を今に体現している人ですよね。
きっとすごく優しい人であり、だから人を押しのけてまで優勝を、
というしたたかさに欠けていたのでは、ともっぱらの評。
相撲もすべて「ガチンコ」だというし(まあ当たり前でしょうけど)。
稀勢の里関の人気があるのがあらためて分かりました。
写真01は、3年前に東京の両国国技館に大相撲を観に行った
弟にお土産としてもらった稀勢の里キーホルダー。
マクロレンズで撮っているので大きさが分からず、もしかして
等身大の人形かと思われたかもしれないですが・・・
02

実際は親指くらいのものです、ご安心を。
等身大が家にあったらもう居る場所ありませんから(笑)。
いやあ、それにしても似てないですよね。
これでも目が大き過ぎる(笑)。
ところで、稀勢の里関についてある話を聞きました。
稀勢の里関はNFLが好きらしい。
最近には珍しく色付き大文字で書いてしまいました!!!
情報元は、CS日テレG+(ジータス)と地上波でも放送している
オードリー司会の「NFL倶楽部」という番組。
番組では最後の方に「春日の2 minutes warning」と題して
オードリーの春日がクイズを出すコーナーがあります。
ちなみに"2 minutes warning"とは、NFLの試合で、
前半終了前の第2クォーターと試合終わり前の第4クォーターが
残り2分になったところで試合が止められるオフィシャルの
タイムアウトのことで、最後の作戦を練るという重要な時間。
ちなみに女性アナウンサーは「ワーニング」と発音していますが、
「ウォーニング」がより正しい発音、というのは余談。
1月26日の放送で春日さんが出した問題。
「最近新聞を賑わせている人でNFLが大好きな人がいます」
オードリー若林さんと女子アナウンサーは即座に口を揃えて
「稀勢の里関!!」
すぐに答えられた春日さんは黙り込んでしまいましたが、
正解、NFLが好きな人は稀勢の里関!!
知らなかった!!
ほんと、こんな嬉しいことはない!!
早速ネット検索すると、日刊スポーツの過去の記事
2つに当たりました。
引用します。
なお、引用者は改行や表記変更などを適宜施しています。
ひとつめ
***
アメフト大好き稀勢の里 初TV解説に照れ笑い
アメリカンフットボール日本選手権「ライスボウル」
オービック21―15関学大
(2013年1月3日 東京ドーム)
アメリカンフットボールの大ファンを自任する大相撲の
大関・稀勢の里が日本選手権のテレビ中継のゲストを務めた。
着物姿で放送席から身を乗り出す場面もあり
「オービックの横綱相撲に挑む関学大の
スペシャルプレーに魅了された。
目の当たりにできて良かった」
と敗者を称えた。
数年前からNFLの衛星放送を全て録画しており
「いろんな動きがあり、
球技なのに全身で激しく当たり合うところが面白い」。
スポーツ中継の放送席は初体験で
「相撲のことをしゃべるのとは全然違う。
もっと勉強しないと」
と照れ笑いしていた。
[ 2013年1月4日 06:00 ]
***
ふたつめ
***
稀勢の里が惚れたアメフトの知将
稀勢の里を叱咤(しった)激励してきた“知将”が大阪にいる。
関学大アメリカンフットボール部を9度の大学日本一に導いた
鳥内秀晃監督(57)だ。
知り合ったのは、アメフット好きの稀勢の里が13年1月、
日本選手権ライスボウルで解説を務めた後だった。
大阪市内でうどん製麺業を営む鳥内監督は、春場所前には
田子ノ浦部屋を訪れ、うどん100人前を差し入れる。
同時に“喝”も入れる。
「どんな男になりたいんや!」
といつも学生を奮い立たせている同監督は、
大関にも本音でぶつかる。
迷いがありそうな時は「考え過ぎるな」とはっきり言う。
稀勢の里も同監督を慕い、関学大グラウンドでパス練習したり、
居酒屋で語り合うこともある。
(2016年3月)24日、稀勢の里は手痛い2敗目を喫した。
だが、観戦した鳥内監督は
「ようやく人の意見を聞くようになったんちゃうかな。
琴奨菊の優勝で変わったんちゃうか」
と見る。
稀勢の里に紹介した大阪の整体師が1月に急死したが、
大関は律義に場所前に花を供えに出向いたという。
「義理堅い男なんや」
と同監督も大関にほれている。
残りは3日。
終了間際の逆転タッチダウンのような劇的ドラマを、
アメフット界の知将も期待している。
***
なるほど、そういうつながりなのですね。
もう4年も前からのことですが、知らなかった。
NFLの試合をすべて衛星で録画しているということですが、
選手の動きを相撲にも生かそうと研究しているのは
さすが稀勢の里とあらためて感心しました。
ところで、稀勢の里関はNFLのどの選手が好きなのかな?
やはり体がどっしりとしたオフェンシヴラインか
ディフェンスのラインもしくはラインバッカーではないかな。
ということで意外と、カンザスシティ・チーフスのラインバッカー、
ジャスティン・ヒューストンかもしれない、とこれは希望的観測。
まあ、ラインバッカーならデンバー・ブロンコスのボン・ミラーか、
やっぱりヒューストン・テキサンズのJ.J.ワットかな。
番組では春日さんも言っていましたが、
人気がある稀勢の里関が好きだということで、
日本でももっとNFLが注目され人気が出てほしいですね。
まあ、そのためには日本人選手が出ることが必要でしょうけど。
世間的には日本人からNFL選手が出るなら、日本人並みの
体格の選手も活躍しているオフェンスのワイドレシーバーか
ディフェンスのコーナーバックかセーフティと言われていますが、
僕は、足の速い力士がいればオフェンスのラインの選手か、
ディフェンスのラインもしくはラインバッカーで活躍できそうな人が
出てこないかな、と密かに思っています。
日本人ではないけれど元横綱朝青龍なんて、あの運動神経、
ラインバッカーいけたのではないかと勝手に想像しています。
2016年の記事の時は結果的に優勝はできなかった。
それから優勝まで5場所もかかった。
かかったけれど、かかったからこそ、
やっぱり今回の優勝と横綱昇進は嬉しい限りですね。
自らまだまだ若いと言っている稀勢の里。
こうなったら優勝10回を目指してほしいですね。
僕のいちばん好きな相撲取り、それは稀勢の里関です。
03

最後は今朝の3ショット。
稀勢の里関のスペースを空けてあります!!!
2016年11月20日
ファイターズ優勝パレード2016
01

北海道日本ハムファイターズ優勝パレードに行って来ました!
朝に小雨が降っていたようですが、パレードの頃はやんでいました。
しかし。
今日は始まる45分くらい前に大通公園付近に着きましたが、
既にいい場所は撮れず。
少しでも前にいたくて周りの様子を撮る余裕もなかった。
僕は進行方向右側にいました。
パレードが始まる。
栗山監督と田中賢介選手が最初にオープンカーで来たらしい。
らしい、というのは、人の間から栗山監督だけかろうじて
見えただけで、賢介がいたのは後になって知りました。
続いて来たオープンカーには宮西投手、増井投手、
中田選手がいましたが、中田選手は車が通り過ぎて
人の間からかろうじて見えただけ。
これは選手が上にいるバスに期待するしかない。
02

というわけで来た1台目のバスは若手中心。
有原投手と斎藤投手がいましたが撮れず。
有原投手は後で写真を見ていることを知ったくらいでして・・・
03

しかし、1台目のバスの最後に吉井投手コーチが。
しっかり撮れて嬉しかった。
吉井さんは現役のヤクルト時代からずっと応援していましたが、
ファイターズに戻って来てくれたのが嬉しかった。
(近鉄時代は嫌いだったわけではなく僕がヤクルトのファンだった
というだけです、念のため)。
前より痩せた感じがするのは、今年やはり激務だったのかな。
できればずっとファイターズに残ってほしいです。
01も吉井コーチ、右に黒木投手コーチも写っていますね。
04

2台目のバスの先頭には陽選手がいました。
陽選手はFA宣言してチームを離れることになりますが、
この時は周りの歓声が少し違いました。
陽選手もいろいろ思うところがあったでしょうね。
本当にいなくなるのであれば、今までありがとう。
その後すぐに「オオタニだ!」の声が。
05

大谷選手がいました!!
右側にいてラッキーでした。
友だちが行ったけど左側でよく見えなかったとのことです。
大谷選手、顔が小さいなあ。
06

もう1枚、露出アンダー気味だけど、
微妙にカメラ目線で撮れました!
なんかもうミーハーです(笑)。
それにしても謙虚でほんとうに好青年ですね。
07

2台目の最後尾には金子コーチがいました。
コーチになっても人気者、声が多く上がっていました。
コーチ1年目で結果が出ましたね、合っていると思います。
08

今日は13万8千人の人出があったそうで、
4年前は10万強だったから、人が多かった。
だからやっぱりいい場所が確保できなかったんだな。
写真も結局、BLOGで使えるのはこれくらいしか撮れませんでした。
今日は最高気温7度、こちらとしては平年並みで、
それなりの服装で行けば寒いということはありませんでした。
ただひとつ気になったこと。
取材のヘリコプターがうるさい。
4機ずっと飛んでいて、話がしにくいくらいの音でした。
でもよかった、楽しかった。
また来年も行けるといいのですが。
09

最後は今朝僕が出発前に撮った3ショット。
まだ地面の葉が濡れていました。

北海道日本ハムファイターズ優勝パレードに行って来ました!
朝に小雨が降っていたようですが、パレードの頃はやんでいました。
しかし。
今日は始まる45分くらい前に大通公園付近に着きましたが、
既にいい場所は撮れず。
少しでも前にいたくて周りの様子を撮る余裕もなかった。
僕は進行方向右側にいました。
パレードが始まる。
栗山監督と田中賢介選手が最初にオープンカーで来たらしい。
らしい、というのは、人の間から栗山監督だけかろうじて
見えただけで、賢介がいたのは後になって知りました。
続いて来たオープンカーには宮西投手、増井投手、
中田選手がいましたが、中田選手は車が通り過ぎて
人の間からかろうじて見えただけ。
これは選手が上にいるバスに期待するしかない。
02

というわけで来た1台目のバスは若手中心。
有原投手と斎藤投手がいましたが撮れず。
有原投手は後で写真を見ていることを知ったくらいでして・・・
03

しかし、1台目のバスの最後に吉井投手コーチが。
しっかり撮れて嬉しかった。
吉井さんは現役のヤクルト時代からずっと応援していましたが、
ファイターズに戻って来てくれたのが嬉しかった。
(近鉄時代は嫌いだったわけではなく僕がヤクルトのファンだった
というだけです、念のため)。
前より痩せた感じがするのは、今年やはり激務だったのかな。
できればずっとファイターズに残ってほしいです。
01も吉井コーチ、右に黒木投手コーチも写っていますね。
04

2台目のバスの先頭には陽選手がいました。
陽選手はFA宣言してチームを離れることになりますが、
この時は周りの歓声が少し違いました。
陽選手もいろいろ思うところがあったでしょうね。
本当にいなくなるのであれば、今までありがとう。
その後すぐに「オオタニだ!」の声が。
05

大谷選手がいました!!
右側にいてラッキーでした。
友だちが行ったけど左側でよく見えなかったとのことです。
大谷選手、顔が小さいなあ。
06

もう1枚、露出アンダー気味だけど、
微妙にカメラ目線で撮れました!
なんかもうミーハーです(笑)。
それにしても謙虚でほんとうに好青年ですね。
07

2台目の最後尾には金子コーチがいました。
コーチになっても人気者、声が多く上がっていました。
コーチ1年目で結果が出ましたね、合っていると思います。
08

今日は13万8千人の人出があったそうで、
4年前は10万強だったから、人が多かった。
だからやっぱりいい場所が確保できなかったんだな。
写真も結局、BLOGで使えるのはこれくらいしか撮れませんでした。
今日は最高気温7度、こちらとしては平年並みで、
それなりの服装で行けば寒いということはありませんでした。
ただひとつ気になったこと。
取材のヘリコプターがうるさい。
4機ずっと飛んでいて、話がしにくいくらいの音でした。
でもよかった、楽しかった。
また来年も行けるといいのですが。
09

最後は今朝僕が出発前に撮った3ショット。
まだ地面の葉が濡れていました。
2016年10月16日
北海道日本ハムファイターズ日本シリーズ進出!
01

北海道日本ハムファイターズ
日本シリーズ進出決定!!
パリーグ・クライマックスシリーズ・ファイナルステージ
第5戦 ソフトバンク・ホークスに7-4で勝利し、FS4勝2敗。
今日は仕事中に経過を追っていましたが、
初回いきなり4点取られて冷や冷やしました。
が、今日はなぜか勝てそう、勝つに違いないと、
4点リードされた時点で思いました。
その通りになりましたね。
逆転したのをネットで見て仕事中に思わず声を上げました。
今日はそういう人が多かったのでは。
(日曜が仕事の人は少ないかもですが)。
9回表、なんと大谷投手がリリーフとして登場。
今日の大谷選手はいつもと違って顔つきが恐かった。
165km/hの日本最速を記録、もう信じられない。
この選手を現役で見られるのは幸せですね。
02

一昨日の第3戦、実は観に行っていました。
4-1で勝利した試合を観に行けてよかった。
01写真は、札幌ドーム内に展示されていたパリーグ優勝旗。
カメラを持って行かなかったのでi-Phoneで撮影。
ドームに行くと僕はファイターズ弁当を食べます。
一昨日食べたのはファイターズ弁当。
昨年はついに一度もドームに行かなかったので
2年振りに食べた。
ハムカツが決め手。
今年だってもう行くことはないと思っていたのが、
せっかく札幌でやっているのだからと行くことにしたのでした。
実際に試合に行ってひとつ感じたこと。
大谷選手への声援が大きかった。
でも、叫んだり熱くなったりという感じではなく、
なんというか、声援が温かいんですよね。
大谷選手を我が子のように思っている人が多いのかも。
03

"Woman"は「頑固おやじのカレー」を。
もはや札幌ドーム名物といえるカレーで、
20分以上並んで待ちました。
一昨日はドーム内に着いたのが試合開始ぎりぎり前、
それから並んでカレーを買ったので、1回裏のレアード選手の
3ランホームランを見逃してしまいました(笑)。
まあいいか。
日本シリーズは
広島東洋カープ対北海道日本ハムファイターズ
「最も遠いチーム同士の日本シリーズ」となりましたが、
新鮮な組み合わせで楽しみですね。
全国的にみれば今は広島ファンの方が多いかな。
正直、広島なら負けても仕方ないや・・・と思うけれど、
いや、ファンがそんなこと言ってはいかんのか(笑)。
04

最後は今朝の犬たち。
ファイターズ応援グッズと撮ることは・・・考えつかなかった。

北海道日本ハムファイターズ
日本シリーズ進出決定!!
パリーグ・クライマックスシリーズ・ファイナルステージ
第5戦 ソフトバンク・ホークスに7-4で勝利し、FS4勝2敗。
今日は仕事中に経過を追っていましたが、
初回いきなり4点取られて冷や冷やしました。
が、今日はなぜか勝てそう、勝つに違いないと、
4点リードされた時点で思いました。
その通りになりましたね。
逆転したのをネットで見て仕事中に思わず声を上げました。
今日はそういう人が多かったのでは。
(日曜が仕事の人は少ないかもですが)。
9回表、なんと大谷投手がリリーフとして登場。
今日の大谷選手はいつもと違って顔つきが恐かった。
165km/hの日本最速を記録、もう信じられない。
この選手を現役で見られるのは幸せですね。
02

一昨日の第3戦、実は観に行っていました。
4-1で勝利した試合を観に行けてよかった。
01写真は、札幌ドーム内に展示されていたパリーグ優勝旗。
カメラを持って行かなかったのでi-Phoneで撮影。
ドームに行くと僕はファイターズ弁当を食べます。
一昨日食べたのはファイターズ弁当。
昨年はついに一度もドームに行かなかったので
2年振りに食べた。
ハムカツが決め手。
今年だってもう行くことはないと思っていたのが、
せっかく札幌でやっているのだからと行くことにしたのでした。
実際に試合に行ってひとつ感じたこと。
大谷選手への声援が大きかった。
でも、叫んだり熱くなったりという感じではなく、
なんというか、声援が温かいんですよね。
大谷選手を我が子のように思っている人が多いのかも。
03

"Woman"は「頑固おやじのカレー」を。
もはや札幌ドーム名物といえるカレーで、
20分以上並んで待ちました。
一昨日はドーム内に着いたのが試合開始ぎりぎり前、
それから並んでカレーを買ったので、1回裏のレアード選手の
3ランホームランを見逃してしまいました(笑)。
まあいいか。
日本シリーズは
広島東洋カープ対北海道日本ハムファイターズ
「最も遠いチーム同士の日本シリーズ」となりましたが、
新鮮な組み合わせで楽しみですね。
全国的にみれば今は広島ファンの方が多いかな。
正直、広島なら負けても仕方ないや・・・と思うけれど、
いや、ファンがそんなこと言ってはいかんのか(笑)。
04

最後は今朝の犬たち。
ファイターズ応援グッズと撮ることは・・・考えつかなかった。
2016年08月20日
取り返しのつかないこと
01

リオデジャネイロ五輪もあと2日で終わり。
始まってしまうと早いですね。
今回は時差が12時間、ちょうど昼と夜が逆転しているかたちですが、
朝起きてテレビをつけると誰かがメダルを取っているというのが
楽しみでもありましたね。
いつだったか、先に起きた弟がテレビをつけていて、
僕はまだ半分寝ているところに「君が代」が聞こえてきた。
ああ、誰かが金メダル取ったんだって。
なかなかいい体験をさせていただきました。
今回の五輪で或いは最大の話題ともいえるのが、
女子レスリング吉田沙保里選手が銀メダルに「終わった」ことでしょう。
僕はずっと追ってきているわけではないのですが、
今回も金メダルは固いだろうと思っていました。
前日日本選手が3人も金メダルを取ったという流れもあるし。
でも、逆にそれがプレッシャーにならないかなと危惧もしていましたが、
今回は残念ながらそれは杞憂に終わらなかった。
試合後の吉田選手は号泣していました。
「ごめんなさい」と謝っていましたが、その気持ちは分かるけれど、
そこまで思い詰めなくてもと、こちらも申し訳ない気持ちになりました。
誰も吉田選手を責めないでしょ、少なくとも日本では。
むしろ吉田選手がいたから今回若手が金メダルを取れたのだから。
吉田選手に勝った相手も立派だった。
もちろんそのことは素直に称えたいと思います。
ただ、今回に関しては、おそらく世界中の選手が吉田選手を
倒すことを目標に練習を重ね対策を立ててきたことでしょう。
吉田選手対策はしたけれど対戦することなく別の選手に負けた
という選手もいるかもしれません。
だから逆にいえば、決勝の相手は誰であっても同じだったかも。
ただ、スポーツ科学が進んでいるアメリカの選手が相手だったのが、
吉田選手には不幸だったかもしれません。
繰り返し、吉田選手にはもう前だけを向いてもらいたいものです。
今回の敗戦も、今後の彼女の人生には大きな意味を持つ
ことでしょうし。
ここからは吉田沙保里選手自身とは少し離れた話。
彼女は試合後に号泣しながらインタビューを受けていました。
あれだけ涙を流しているのに理路整然とした受け答えができる、
彼女の精神力にまた僕は感心しました。
さすがは尊敬される人だなあと。
そのインタビューはこのようなものでした。
ネットのさる通信社Aのニュース記事から引用します。
***
「たくさんの方に応援していただいたのに、
銀メダルに終わってしまって……申し訳ないです。
日本選手の主将として金メダルを取らないと
いけないところだったのに……ごめんなさい。
自分の気持ちが、最後は勝てるだろうって思ったんですけど、
取り返しのつかないことになってしまって……」
***
僕が覚えている限り、これはほとんど書き起こしに近い文章。
ところが、です。
先ほど別の新聞社の記事を見て驚きました。
その新聞社Bの記事も引用します。
***
「金メダルを獲れなかった。ごめんなさい。
取り返しのつかないことをしてしまった。
いろんな人に金メダルを獲ると約束していたので
それがかなわなかった。
日本選手団主将としても役目を果たせなかったのが悔しい」
***
通信社Aのものとして引用した文章にはもちろん前後があり、これは
それを口語の雰囲気を残しながら記者がまとめたものと読めます。
僕が驚いたのは下線部。
「取り返しのつかないこと」の意味が違っていることでした。
吉田選手は、Aを読む限り、Bが書くように
「金メダルを取れなかったことが取り返しのつかないことである」
とは言っていない、と僕には読めますが、どうでしょうか?
吉田選手は
「思い通りに試合運びができれば試合に勝てると思っていたが、
相手にポイントを取られたところから流れがおかしくなり、
打つ手がないまま時間だけが過ぎ負けてしまった」
という意味で「取り返しのつかない」と言ったのだと、
吉田選手が実際に喋るインタビューを聞いて解釈しました。
まあ、金メダルが取れなかったという事実を後から振り返って
「取り返しのつかないこと」というのはあるかもしれない。
でも、試合直後の気が動転しているインタビューで、
いくら理路整然と話していたとはいえ、そこまで頭は回らない、
まずは試合を振り返っての感想だったはず、と僕は思う。
何を細かいことを、と言われるでしょうけど、
「プロのマスコミ」が書くことは100%の情報ではなく
恣意性が隠されているので気をつけなければいけない、
ということを僕は思ったのでした。
吉田選手が言った「取り返しのつかないこと」というのは、
僕も観ていて印象に残ったひとことだったので、記者さんも
より劇的な文章にするのにそこに着目したのでしょう。
でも、意味が違う。
そもそも、取り返しのつかないことに「なってしまった」と
吉田選手は言っているのが、B社では
取り返しのつかないことを「してしまった」となっていますよね。
そしてもちろん、僕もBLOGをやっている人間として、
言葉の使い方には気をつけなければならないと、
自戒の意味も込め、今回は敢えてこんな記事を書きました。
なお補足、A社のインタビューの続きを引用します。
***
「最後の最後で銀メダルで終わると思っていなかったです。
悔しいです。
たくさんの方に応援していただいて、
本当にありがとうございました。
(ロンドン五輪以降は)『打倒・吉田』でみんなが来るのが
わかっていたんですけど、本当に
最後の最後で落とし穴にはまると思っていなかったので……」
***
これを言えるのも吉田選手ならでは。
自分でも分かっていただけに、悔しさもひとしおでしょうね。
繰り返し、ほんとうに、吉田選手ありがとう。
もちろん他のみなさんも感動をありがとう。
☆
ところで、今日は男子4×100mリレーで
日本が銀メダルを取りましたね。
仕事の合間にネットで結果を見て驚きました。
凄いとしか言いようがない。
しかもあのアメリカに先着しての銀メダルですからね。
今日は帰宅してそのニュースをテレビで何度も観ました。
しかし冷静に考えると、吉田選手と同じ銀メダルなんですよね。
同じ銀メダルでもこれだけ人々の反応が違うというのが、
オリンピックって面白いとあらためて思いました。
昔誰かが、
「銀メダルは負けてもらうもの、銅メダルは勝ってもらうもの」
と言っていて妙に納得しました。
確かに1対1の競技ではかたちとしてそうなりますね。
世界で2番目なのに、最後に負けるのが銀メダル。
でも、3人(チーム)以上で同時進行する競技においては
「勝って嬉しい銀メダル」というのもあるのだと分かりました。
今回のリレー、まあ言ってしまえば、唯一負けた相手が
ボルト選手と彼がいるジャマイカだから仕方ない、
という思いがあるのでしょうね。
さてここで唐突に1曲。
☆
You Got The Silver
Keith Richards
「君たちは銀をとった」
ローリング・ストーンズLET IT BLEEDに収録されている
キース・リチャーズの曲をソロヴァージョンで。
このキースが恐くてカッコいいですね。
まあ、負けても勝っても、選手たちには少しの間
この曲のようにゆっくりと休んでほしいですね。
最後は今朝の3ショット。
02

今朝はまだ降っていませんでした。
今は土砂降りに近い大雨。
引き続き気をつけないと。

リオデジャネイロ五輪もあと2日で終わり。
始まってしまうと早いですね。
今回は時差が12時間、ちょうど昼と夜が逆転しているかたちですが、
朝起きてテレビをつけると誰かがメダルを取っているというのが
楽しみでもありましたね。
いつだったか、先に起きた弟がテレビをつけていて、
僕はまだ半分寝ているところに「君が代」が聞こえてきた。
ああ、誰かが金メダル取ったんだって。
なかなかいい体験をさせていただきました。
今回の五輪で或いは最大の話題ともいえるのが、
女子レスリング吉田沙保里選手が銀メダルに「終わった」ことでしょう。
僕はずっと追ってきているわけではないのですが、
今回も金メダルは固いだろうと思っていました。
前日日本選手が3人も金メダルを取ったという流れもあるし。
でも、逆にそれがプレッシャーにならないかなと危惧もしていましたが、
今回は残念ながらそれは杞憂に終わらなかった。
試合後の吉田選手は号泣していました。
「ごめんなさい」と謝っていましたが、その気持ちは分かるけれど、
そこまで思い詰めなくてもと、こちらも申し訳ない気持ちになりました。
誰も吉田選手を責めないでしょ、少なくとも日本では。
むしろ吉田選手がいたから今回若手が金メダルを取れたのだから。
吉田選手に勝った相手も立派だった。
もちろんそのことは素直に称えたいと思います。
ただ、今回に関しては、おそらく世界中の選手が吉田選手を
倒すことを目標に練習を重ね対策を立ててきたことでしょう。
吉田選手対策はしたけれど対戦することなく別の選手に負けた
という選手もいるかもしれません。
だから逆にいえば、決勝の相手は誰であっても同じだったかも。
ただ、スポーツ科学が進んでいるアメリカの選手が相手だったのが、
吉田選手には不幸だったかもしれません。
繰り返し、吉田選手にはもう前だけを向いてもらいたいものです。
今回の敗戦も、今後の彼女の人生には大きな意味を持つ
ことでしょうし。
ここからは吉田沙保里選手自身とは少し離れた話。
彼女は試合後に号泣しながらインタビューを受けていました。
あれだけ涙を流しているのに理路整然とした受け答えができる、
彼女の精神力にまた僕は感心しました。
さすがは尊敬される人だなあと。
そのインタビューはこのようなものでした。
ネットのさる通信社Aのニュース記事から引用します。
***
「たくさんの方に応援していただいたのに、
銀メダルに終わってしまって……申し訳ないです。
日本選手の主将として金メダルを取らないと
いけないところだったのに……ごめんなさい。
自分の気持ちが、最後は勝てるだろうって思ったんですけど、
取り返しのつかないことになってしまって……」
***
僕が覚えている限り、これはほとんど書き起こしに近い文章。
ところが、です。
先ほど別の新聞社の記事を見て驚きました。
その新聞社Bの記事も引用します。
***
「金メダルを獲れなかった。ごめんなさい。
取り返しのつかないことをしてしまった。
いろんな人に金メダルを獲ると約束していたので
それがかなわなかった。
日本選手団主将としても役目を果たせなかったのが悔しい」
***
通信社Aのものとして引用した文章にはもちろん前後があり、これは
それを口語の雰囲気を残しながら記者がまとめたものと読めます。
僕が驚いたのは下線部。
「取り返しのつかないこと」の意味が違っていることでした。
吉田選手は、Aを読む限り、Bが書くように
「金メダルを取れなかったことが取り返しのつかないことである」
とは言っていない、と僕には読めますが、どうでしょうか?
吉田選手は
「思い通りに試合運びができれば試合に勝てると思っていたが、
相手にポイントを取られたところから流れがおかしくなり、
打つ手がないまま時間だけが過ぎ負けてしまった」
という意味で「取り返しのつかない」と言ったのだと、
吉田選手が実際に喋るインタビューを聞いて解釈しました。
まあ、金メダルが取れなかったという事実を後から振り返って
「取り返しのつかないこと」というのはあるかもしれない。
でも、試合直後の気が動転しているインタビューで、
いくら理路整然と話していたとはいえ、そこまで頭は回らない、
まずは試合を振り返っての感想だったはず、と僕は思う。
何を細かいことを、と言われるでしょうけど、
「プロのマスコミ」が書くことは100%の情報ではなく
恣意性が隠されているので気をつけなければいけない、
ということを僕は思ったのでした。
吉田選手が言った「取り返しのつかないこと」というのは、
僕も観ていて印象に残ったひとことだったので、記者さんも
より劇的な文章にするのにそこに着目したのでしょう。
でも、意味が違う。
そもそも、取り返しのつかないことに「なってしまった」と
吉田選手は言っているのが、B社では
取り返しのつかないことを「してしまった」となっていますよね。
そしてもちろん、僕もBLOGをやっている人間として、
言葉の使い方には気をつけなければならないと、
自戒の意味も込め、今回は敢えてこんな記事を書きました。
なお補足、A社のインタビューの続きを引用します。
***
「最後の最後で銀メダルで終わると思っていなかったです。
悔しいです。
たくさんの方に応援していただいて、
本当にありがとうございました。
(ロンドン五輪以降は)『打倒・吉田』でみんなが来るのが
わかっていたんですけど、本当に
最後の最後で落とし穴にはまると思っていなかったので……」
***
これを言えるのも吉田選手ならでは。
自分でも分かっていただけに、悔しさもひとしおでしょうね。
繰り返し、ほんとうに、吉田選手ありがとう。
もちろん他のみなさんも感動をありがとう。
☆
ところで、今日は男子4×100mリレーで
日本が銀メダルを取りましたね。
仕事の合間にネットで結果を見て驚きました。
凄いとしか言いようがない。
しかもあのアメリカに先着しての銀メダルですからね。
今日は帰宅してそのニュースをテレビで何度も観ました。
しかし冷静に考えると、吉田選手と同じ銀メダルなんですよね。
同じ銀メダルでもこれだけ人々の反応が違うというのが、
オリンピックって面白いとあらためて思いました。
昔誰かが、
「銀メダルは負けてもらうもの、銅メダルは勝ってもらうもの」
と言っていて妙に納得しました。
確かに1対1の競技ではかたちとしてそうなりますね。
世界で2番目なのに、最後に負けるのが銀メダル。
でも、3人(チーム)以上で同時進行する競技においては
「勝って嬉しい銀メダル」というのもあるのだと分かりました。
今回のリレー、まあ言ってしまえば、唯一負けた相手が
ボルト選手と彼がいるジャマイカだから仕方ない、
という思いがあるのでしょうね。
さてここで唐突に1曲。
☆
You Got The Silver
Keith Richards
「君たちは銀をとった」
ローリング・ストーンズLET IT BLEEDに収録されている
キース・リチャーズの曲をソロヴァージョンで。
このキースが恐くてカッコいいですね。
まあ、負けても勝っても、選手たちには少しの間
この曲のようにゆっくりと休んでほしいですね。
最後は今朝の3ショット。
02

今朝はまだ降っていませんでした。
今は土砂降りに近い大雨。
引き続き気をつけないと。
2016年07月06日
覚えている最も古い記憶・・・東京球場
01

先日、ラジオで、「覚えている最も古い記憶」の話をしていました。
聞きながら考えてみると、僕の最も古い記憶はこれでした。
3歳の頃、東京球場で祖父母と野球を観たこと
3歳の頃だから1970年。
当時は荒川区南千住に「東京球場」(東京スタジアム)
という野球場があり、今の千葉ロッテマリーンズの前身、
ロッテオリオンズが本拠地としていました。
東京球場は僕が通っていた小学校から歩いて10分くらい、
家から球場まで歩いても20分くらいだったと思う。
その試合を祖父母に連れられて観に行ったことを、
僕はかすかに覚えています。
もちろん子供だからどこ対どことかまるで分からないし、
覚えているのは、スタンドの席の横に立ってたことだけ。
記憶によれば、僕らがいたのは通路の下の列で
すぐ後ろに鉄柵があり、それにつかまって席に座った。
後も先もなくただそこだけを覚えています。
当時住んでいた家は集合住宅で屋上が開放されていましたが、
東京球場の照明塔やスタンドが見えたことも、シーンとして
記憶に残っています。
僕が小学校3年の年まで球場があったので、まあ、
これは覚えているでしょうね。
東京球場についてウィキペディアで調べました。
詳しくは以下のリンクからどうぞ。
東京球場
ウィキペディアを読むと、1962年に完成。
わずか10年の使用、15年で取り壊されたんだ。
僕はてっきり古くてぼろくて使えなくなったと勘違いしていましたが、
むしろ新しいコンセプトに基づいた球場だったと分かりました。
ウィキペディアの記事で印象的なのは、ロッカールームの広さ、
地下に食堂やボーリング場があったということで、
まさにボールパーク、楽しそうですね。
「大リーグのボールパークのような最先端の設備を有しながら、
庶民が下駄履きで気軽に通えるような球場」
ロッテの全身の大毎オリオンズのオーナー永田雅一は、
球場建設に当たり、このようなコンセプトを掲げていたそうです。
今にして、あんな下町にプロ野球のスタジアムがあったなんて、
僕自身信じられないですが、それも意図したものだったんだ。
しかし記事を読むと、最初の試合は3万5千満員だったけれど、
最後の方は65試合で35万人、そんなに少なかったんだ。
1試合5000人強しか来ていなかったということですよね。
今は千葉ロッテが12球団でいちばん観客動員数が少ないけれど、
それでもそれプラス100万人くらいはいっています。
パリーグはほんとに人気がなかったんだ、今とは隔世の感があるし、
パリーグは人気がなかったのがもはや懐かしい、とも。
僕は小学4年まで父の影響で巨人ファンでしたが、
長嶋監督が辞め(させられ)たのに父が怒って巨人ファンをやめ、
母がずっと応援していたヤクルトのファンに「転向」したのでした。
でもそもそも野球が好きで、巨人戦はいつも満員だから、
たまにパリーグ、日本ハムファイターズの試合に行っていました。
後楽園球場で日本ハム対阪急を何度か観ましたが、
でも他の4チームとの試合を観た記憶がないので、
父も当時強かった阪急の試合に行くことにしていたのかな。
だから東京球場にも行ったのでしょう。
近くだし。
両親がその近くに越してきたのも僕が生まれた後だから、
物珍しさ、興味深さもあったのでしょうね。
ただ、僕は祖父母と行ったことしか覚えていないのですが、
両親、或いは父か母もいたのかな、そうかもしれない。
今となってはもう確かめようがないのですが。
その記憶がはっきりと残っているのは、おそらく、
小学生の頃に反復したからではないかと思う。
ヤクルト戦を観に神宮球場によく行くようになった頃、
小さい頃に祖父母と東京球場に行ったことを覚えてる?
と聞かれたことがあり、そこで思い出したことが、
そのまま記憶として固着されたのではないかと。
父の話によれば、東京球場があった頃、
最寄りの地下鉄日比谷線「三ノ輪」駅で
有藤選手や山崎選手などを何度も見たとのこと。
なんでサインもらわなかったのと言ったけれど
(僕は小さい頃からパリーグも知っていた)、
まあ大人がサインはもらわないですよね普通、当時は。
鉄道では都電「三ノ輪橋」が最寄りで5分くらいかな。
小学5年の頃だったはず、6年かな、友だちと放課後に、
壊された東京球場の跡を見に行ったことがあります。
もうその頃は巨人からヤクルトのファンになっていました。
当時は自転車で結構遠くに行っていましたが、
それも今の子どもたちはだめでしょうね、時代を感じます。
などなど、今日は懐かしい話に浸ってしまいました・・・
お読みいただきありがとうございます。
話題に添った写真を用意できず申し訳ありませんでした。

先日、ラジオで、「覚えている最も古い記憶」の話をしていました。
聞きながら考えてみると、僕の最も古い記憶はこれでした。
3歳の頃、東京球場で祖父母と野球を観たこと
3歳の頃だから1970年。
当時は荒川区南千住に「東京球場」(東京スタジアム)
という野球場があり、今の千葉ロッテマリーンズの前身、
ロッテオリオンズが本拠地としていました。
東京球場は僕が通っていた小学校から歩いて10分くらい、
家から球場まで歩いても20分くらいだったと思う。
その試合を祖父母に連れられて観に行ったことを、
僕はかすかに覚えています。
もちろん子供だからどこ対どことかまるで分からないし、
覚えているのは、スタンドの席の横に立ってたことだけ。
記憶によれば、僕らがいたのは通路の下の列で
すぐ後ろに鉄柵があり、それにつかまって席に座った。
後も先もなくただそこだけを覚えています。
当時住んでいた家は集合住宅で屋上が開放されていましたが、
東京球場の照明塔やスタンドが見えたことも、シーンとして
記憶に残っています。
僕が小学校3年の年まで球場があったので、まあ、
これは覚えているでしょうね。
東京球場についてウィキペディアで調べました。
詳しくは以下のリンクからどうぞ。
東京球場
ウィキペディアを読むと、1962年に完成。
わずか10年の使用、15年で取り壊されたんだ。
僕はてっきり古くてぼろくて使えなくなったと勘違いしていましたが、
むしろ新しいコンセプトに基づいた球場だったと分かりました。
ウィキペディアの記事で印象的なのは、ロッカールームの広さ、
地下に食堂やボーリング場があったということで、
まさにボールパーク、楽しそうですね。
「大リーグのボールパークのような最先端の設備を有しながら、
庶民が下駄履きで気軽に通えるような球場」
ロッテの全身の大毎オリオンズのオーナー永田雅一は、
球場建設に当たり、このようなコンセプトを掲げていたそうです。
今にして、あんな下町にプロ野球のスタジアムがあったなんて、
僕自身信じられないですが、それも意図したものだったんだ。
しかし記事を読むと、最初の試合は3万5千満員だったけれど、
最後の方は65試合で35万人、そんなに少なかったんだ。
1試合5000人強しか来ていなかったということですよね。
今は千葉ロッテが12球団でいちばん観客動員数が少ないけれど、
それでもそれプラス100万人くらいはいっています。
パリーグはほんとに人気がなかったんだ、今とは隔世の感があるし、
パリーグは人気がなかったのがもはや懐かしい、とも。
僕は小学4年まで父の影響で巨人ファンでしたが、
長嶋監督が辞め(させられ)たのに父が怒って巨人ファンをやめ、
母がずっと応援していたヤクルトのファンに「転向」したのでした。
でもそもそも野球が好きで、巨人戦はいつも満員だから、
たまにパリーグ、日本ハムファイターズの試合に行っていました。
後楽園球場で日本ハム対阪急を何度か観ましたが、
でも他の4チームとの試合を観た記憶がないので、
父も当時強かった阪急の試合に行くことにしていたのかな。
だから東京球場にも行ったのでしょう。
近くだし。
両親がその近くに越してきたのも僕が生まれた後だから、
物珍しさ、興味深さもあったのでしょうね。
ただ、僕は祖父母と行ったことしか覚えていないのですが、
両親、或いは父か母もいたのかな、そうかもしれない。
今となってはもう確かめようがないのですが。
その記憶がはっきりと残っているのは、おそらく、
小学生の頃に反復したからではないかと思う。
ヤクルト戦を観に神宮球場によく行くようになった頃、
小さい頃に祖父母と東京球場に行ったことを覚えてる?
と聞かれたことがあり、そこで思い出したことが、
そのまま記憶として固着されたのではないかと。
父の話によれば、東京球場があった頃、
最寄りの地下鉄日比谷線「三ノ輪」駅で
有藤選手や山崎選手などを何度も見たとのこと。
なんでサインもらわなかったのと言ったけれど
(僕は小さい頃からパリーグも知っていた)、
まあ大人がサインはもらわないですよね普通、当時は。
鉄道では都電「三ノ輪橋」が最寄りで5分くらいかな。
小学5年の頃だったはず、6年かな、友だちと放課後に、
壊された東京球場の跡を見に行ったことがあります。
もうその頃は巨人からヤクルトのファンになっていました。
当時は自転車で結構遠くに行っていましたが、
それも今の子どもたちはだめでしょうね、時代を感じます。
などなど、今日は懐かしい話に浸ってしまいました・・・
お読みいただきありがとうございます。
話題に添った写真を用意できず申し訳ありませんでした。
2015年10月02日
祝優勝!! 東京ヤクルトスワローズ!!
01

東京ヤクルトスワローズ優勝!!
え、お前はファイターズファンじゃなかったのかって???
セリーグでは小学5年の頃からずっとヤクルトを応援してました。
そうじゃなければ家にグッズがあるはずがない(笑)。
02

14年振りの優勝か。
14年前はまだファイターズが札幌に来ていなかった。
あの時、北海道出身の若松監督の言葉
「(ファンの)みなさん優勝おめでとうございます!」
今だ語り草、今年優勝が近づいてその言葉が
名台詞として取り上げられていました。
その時に選手だった真中監督の優勝もうれしい。
やっぱり真中監督も「優勝おめでとうございます」と言いましたね。
03

今日は久し振りに初回からテレビを観ていました。
1-0のまま終わるはずがないと思っていたら、案の定、
阪神タイガースが追いついて1-1、そのまま延長。
引き分けでも優勝なので、12回表の阪神の攻撃をゼロで抑えると、
もうその時点で優勝決まりだけど、試合が成立しないとだめだから、
12回裏はみんな早々と三振するんじゃないか、と思ったり。
杞憂でした、11回裏に雄平選手がサヨナラヒット。
Sharp Dressed Man - ZZ Top
今日は同点打を打たれてしまったけれど(仕方ない)、
不動の抑えとなったバーネット投手の入場テーマ曲。
そうか!
だからバーネットとオンドルセクは髭伸ばしているのか(笑)。
とまあ、やっぱり洋楽ネタを絡めないと気が済まない(笑)。
個人的に残念なのは、今年からセパ交流戦の方法が変わり、
札幌でのスワローズ対ファイターズの試合がなかったこと。
わが家の年中行事だったのですが、ううん、
今になってすごく悔しくなってきたぞ・・・
04

今日は気分よく寝られそう。
いや、なかなか寝付けないかも(笑)。
今はまだテレビ観てます、神宮球場の外野でビールかけをするそうで。

東京ヤクルトスワローズ優勝!!
え、お前はファイターズファンじゃなかったのかって???
セリーグでは小学5年の頃からずっとヤクルトを応援してました。
そうじゃなければ家にグッズがあるはずがない(笑)。
02

14年振りの優勝か。
14年前はまだファイターズが札幌に来ていなかった。
あの時、北海道出身の若松監督の言葉
「(ファンの)みなさん優勝おめでとうございます!」
今だ語り草、今年優勝が近づいてその言葉が
名台詞として取り上げられていました。
その時に選手だった真中監督の優勝もうれしい。
やっぱり真中監督も「優勝おめでとうございます」と言いましたね。
03

今日は久し振りに初回からテレビを観ていました。
1-0のまま終わるはずがないと思っていたら、案の定、
阪神タイガースが追いついて1-1、そのまま延長。
引き分けでも優勝なので、12回表の阪神の攻撃をゼロで抑えると、
もうその時点で優勝決まりだけど、試合が成立しないとだめだから、
12回裏はみんな早々と三振するんじゃないか、と思ったり。
杞憂でした、11回裏に雄平選手がサヨナラヒット。
Sharp Dressed Man - ZZ Top
今日は同点打を打たれてしまったけれど(仕方ない)、
不動の抑えとなったバーネット投手の入場テーマ曲。
そうか!
だからバーネットとオンドルセクは髭伸ばしているのか(笑)。
とまあ、やっぱり洋楽ネタを絡めないと気が済まない(笑)。
個人的に残念なのは、今年からセパ交流戦の方法が変わり、
札幌でのスワローズ対ファイターズの試合がなかったこと。
わが家の年中行事だったのですが、ううん、
今になってすごく悔しくなってきたぞ・・・
04

今日は気分よく寝られそう。
いや、なかなか寝付けないかも(笑)。
今はまだテレビ観てます、神宮球場の外野でビールかけをするそうで。
2014年10月05日
稲葉さん引退試合の日
01

本日、2014年10月5日、札幌ドームにて、
北海道日本ハムファイターズのレギュラーシーズン最終戦、
稲葉篤紀選手引退試合が行われました。
相手は東北楽天ゴールデンイーグルス。
試合は1-0でファイターズの勝利。
先ほどまでGAORAで、試合後の稲葉さんの
引退セレモニーを観ていました。
札幌ドームは超満員。
ヤクルト時代から応援していた稲葉選手が、
北海道に移転したファイターズに来ると決まった時、
うれしかったけれど、まさかここまでの人気者になるとは。
02

セレモニーの中で行われたドームの稲葉ジャンプを見て、
寂しくなりましたね。
「日常生活」の大切なものがひとつ、終わってしまうのか、と。
同じ土地で同じ空気を吸って生きてきたことで、稲葉さんに
連帯感のようなものがある人は、北海道には多いことでしょう。
ファイターズは3位でCSに進出し、まだ試合はあり、
稲葉選手が出る可能性も少なからずありますが、
CSは「日常生活」とは少し離れたところにあると感じます。
「日常生活」を大事にしたい僕としては、そこが寂しい。
でも、稲葉選手のこれからを、
北海道民として応援してゆきたいです。
03

もう胸がいっぱいで、申し訳ない、本日は、
今日の犬たちの写真のみにて失礼します。

本日、2014年10月5日、札幌ドームにて、
北海道日本ハムファイターズのレギュラーシーズン最終戦、
稲葉篤紀選手引退試合が行われました。
相手は東北楽天ゴールデンイーグルス。
試合は1-0でファイターズの勝利。
先ほどまでGAORAで、試合後の稲葉さんの
引退セレモニーを観ていました。
札幌ドームは超満員。
ヤクルト時代から応援していた稲葉選手が、
北海道に移転したファイターズに来ると決まった時、
うれしかったけれど、まさかここまでの人気者になるとは。
02

セレモニーの中で行われたドームの稲葉ジャンプを見て、
寂しくなりましたね。
「日常生活」の大切なものがひとつ、終わってしまうのか、と。
同じ土地で同じ空気を吸って生きてきたことで、稲葉さんに
連帯感のようなものがある人は、北海道には多いことでしょう。
ファイターズは3位でCSに進出し、まだ試合はあり、
稲葉選手が出る可能性も少なからずありますが、
CSは「日常生活」とは少し離れたところにあると感じます。
「日常生活」を大事にしたい僕としては、そこが寂しい。
でも、稲葉選手のこれからを、
北海道民として応援してゆきたいです。
03

もう胸がいっぱいで、申し訳ない、本日は、
今日の犬たちの写真のみにて失礼します。