2014年03月11日
Hey Jude ザ・ビートルズ
01
Hey Jude The Beatles
ヘイ・ジュード ザ・ビートルズ
(written by John Lennon - Paul McCartney)
3月11日ですね。
今年のこの日は僕なりの思いを記事にしようと思ってきました。
あくまでも僕なりに、ですが、昨年の今頃は、この日をはさんで、
ビートルズの僕が好きな10曲の記事を上げていたことを思い出し
その続きのようなかたちでこの曲について話すことにしました。
ビートルズの好きな10曲は僕の場合決して固定ではなく
その時の思い、気分などでいかようにも動きます。
というより「好きな10曲を挙げて」といわれて挙げてゆくと、
30曲くらい、比例代表の名簿のように並んで出てきます・・・
だからあまり細かいことは指摘しないでください(笑)。
今回、この曲を選んだのは、やはりこの曲に込められた思いが
この日にはふさわしいと僕が感じるからです。
☆
Hey Judeは1968年8月30日、英国でシングルがリリースされました。
B面はRevolutionで、この曲はレス・ポール氏追悼として
先に記事を上げています、ご興味があるかたはこちらへどうぞ。
Hey Judeはビートルズ最大のヒット曲で、ビルボード誌では
1968年9月28日付から11月23日付まで9週連続No.1に輝き、
その年のシングルの年間チャートで1位となりました。
ビートルズでは最もヒューマンな感動を覚える曲で、
あれだけ大物になっても純粋な心を持ち続けていたことにより、
人はここまで大きな力で人を感動させることができるのかという、
ビートルズのみならず商業音楽の到達点ともいえる曲でしょう。
ビートルズ自身も絶頂期でした。
コンサート活動を止めて創作に専念し、アップルを立ち上げ、
最初のシングルが最大のヒットとなったことで、4人はその先、
洋々を超えて宇宙的な広がりを見せてくれるはずでした。
しかし、周りにうごめく人たちの思惑に巻き込まれて、
ビートルズは思いのほか早く終わってしまいました。
後の人間が振り返ると、輝きと挫折が表裏一体だった、
その危うさが逆に芸術的なスパートになっていたのかもしれない、と。
この曲はポール・マッカートニーが、ジョン・レノンの息子である
ジュリアン・レノンを励まそうと書いた曲であるのは、
今では知られるところとなっています。
ジュリアン・レノンがデビューした時僕はこの話を知っていたので
「あのジョン・レノンの息子」という思いとともに、或いはそれ以上に、
「あのHey Judeを生み出すきっかけの人」と思ったものでした(笑)。
ここでいつもの「ジョン・レノン・プレイボーイ・インタビュー」から、
この曲に関するジョンの言葉を引用します。
(引用者は改行、一部表記変更を行っています)
JL:あの歌はジュリアンについてのものだって
ポールは言ってたな。
ぼくがシンシアと別れることになって、ジュリアンをシンシアの
ところに残すのを、ポールは知ってたんだ。
ポールはジュリアンに会いに行ってくれていて、
叔父さんみたいにしてくれたんだ。
それで『ヘイ・ジュード』ができたのさ。
でも、ぼくは、あれを聴くといつも、ぼくへの曲だと思ってたな。
こんなことを言うと、ぼくも、歌に何らかの意味をもたせようとする
ファンたちみたいになっちゃうな・・・・・・こういうことさ。
ヨーコがぼくらの生活の中に入ってきたばかりだった。
ポールはよく「ヘイ・ジュード」って言ってたよ。
つまり、「ヘイ・ジョン」さ。
潜在意識では、ポールは「いいよ、ぼくらと別れてもいいよ」
って言ってたのさ。
でも、意識の上では、ぼくがそうするのは望んでいなかったんだ。
ポールの心の中の優しい部分は「神の祝福を!」って言ってたんだ。
意地の悪い部分は、ぼくがしようとしていたことが
全く気に入らなかったんだ。
パートナーを失いたくなかったからさ。
あ、歌に意味を持たせるファンって、もろ僕のこと・・・(笑)・・・
それはともかく、ジョンのポールへの思いの部分は複雑だけど、
ポールの優しい部分を認めていたことが分かってほっとします。
シンシアとはジョンの前の奥さんのことですね。
この曲の挿話は「ビルボード・ナンバー1・ヒット(上)」(音楽之友社)
にも収められていて、そこにはポール自身の1973年のインタビュー
からの言葉もあるので引用します(同)。
PM:たまたまドライブをしていてシンシアに会った。
シンシアはジョンと別れたばかりで傷心の日々を送っていた。
2人の息子のジュリアンはとてもいい子で、
ぼくたちは友達だったんだ。
車の中で「ヘイ・ジュール」"Hey Jule"って歌い出した。
それからジュールよりジュードのほうがいいと思った。
別にルークでもマックスでもよかったんだけど、
やっぱりジュードがぴったりだった。
同じ物事を2つの面から見ている相違が面白いですね。
ポールは会いに行ってくれたのではなくたまたま会ったとか、
ジュリアンの「叔父」ではなく「友達」だったとか。
しかし僕が興味深いのはやっぱり歌に関する部分ですね。
ポールは車の中で歌い出したというのは、即興でしょうけど、
それはこの曲が作られたものではなくその時の感情が
ポールの感性でそのまま歌になってしまったということでしょう。
もちろんその後は発展させて作ったのでしょうけど。
そして、やっぱりHey LukeやHey Maxじゃ少なくともこの歌の持つ
柔らかい旋律の雰囲気にはそぐわないですよね。
この話はポールの旋律と言葉の絡みで素晴らしい歌を生み出す
天賦の才能を証明しています。
でも、またここで歌に意味を持たせるファンとして言えば(笑)、
LukeはLucyでMaxはMaxwellが頭にあったのかなって・・・
その本には別の挿話も紹介されているので引用します(同)。
婚約者のジェーン・アッシャーと別れたポールが自分自身に
呼びかけた曲という説もある。
1968年9月にこのシングルがリリースされた時ジョンは
「ポールが初めて『ヘイ・ジュード』を歌ってくれた時、
とても個人的に感じ入るところがあって、
この曲はぼくのことを歌っているんだと思った。
ジュードはぼくだって叫んだ。
するとポールは、違うよぼくさ、って言ったよ」と語っている。
まるでジョンとポールがこの曲の取り合いをしているようで
微笑ましい話ですが、いずれにせよHey Judeは
個人の感情が入りやすい曲であるのは確かですね。
02 シングル20周年記念12インチピクチャーシングル盤
もう1冊の本、「ビートルズ・レコーディング・セッション」を見ると、
この曲は1968年7月29日と30日にアビィ・ロードの第2スタジオで
基本のトラックが録音され、翌7月31日にトライデント・スタジオで
リメイク作業が行われ、8月1日にオーケストラのオーヴァーダブ、
その後ミックスが施されて完成しました。
注目すべきは、この曲はビートルズにとって初めて
8トラックで録音された曲であるということです。
当時は特にポールが新しい機材に高い興味を持っていましたが、
7月31日にトライデントに行ったところ、それまで知らなかった
8トラックの録音機材があるのを発見し、早速使ってみたい
ということでまったく新規に録音をし直しました。
ポールがピアノとヴォーカル、ジョンがギター、
ジョージ・ハリスンがフェンダー6弦ベース、
そしてリンゴ・スターがドラムスとタンバリン。
録音作業の中で面白いのは、Hey Judeと歌う部分になると
ジョージがそれに呼応したフレーズを弾こうとするのを
ポールが思いとどまらせたということで、その辺のセンスの
シャープさもポールならではでしょうね。
もうひとつ、オーケストラのパートを録音した際に、
最後のリフレインの部分のコーラスと手拍子に参加すると
ギャラが倍になるということで、オーケストラのメンバーの
ほとんどがよろこんで参加した中、たったひとりだけ、
ポール・マッカートニーなんかの曲で手拍子なんかできるかと
そそくさと帰ってしまった人がいたそうです。
この曲はプロモーションフィルムも印象的ですね。
当時はビデオではなくフィルムでしたが、スタジオライヴ形式で、
ポールがドアップで歌い始め、カメラがだんだん引いてきて
ポールがピアノを弾きながら歌っていることが分かります。
ジョンはカジノを持ち2番目のヴァースから弾き始め、
リンゴもタンバリンで同じく入ってきます。
ジョージはフェンダーの6弦ベースを弾いていて、
歌が進んで最後のリフレインのところで一般の人々が
スタジオになだれ込んできて大合唱で終わるというもの。
このクリップに価値があるのは、演奏もライヴで録られていることで、
それは彼らの本気度を表すとともに、久しぶりに人前で
バンドで演奏したかったのかもしれないですね。
この記事を書くのに久しぶりに見たけどやっぱり感動しました。
ポールが顔が真っ白で瞳が緑だ、とか思いながら(笑)。
03 僕が生まれて初めて買ったビートルズのLP
個人的な思いや思い出も少し。
この曲は僕が中2の夏休みにNHK-FMで録音して初めて
聴いたビートルズの曲の中にもちろんありました。
最初に聴いて、「この曲知ってる」状態でした。
ビートルズの曲だとは知らずもちろんタイトルも知らない、だけど
スーパーのBGMで歌がない軽音楽風のアレンジのもので
よく流れていたのを耳にして覚えていました。
Hey Jude、僕は世の中で最も旋律が美しい歌だと思います。
最初に聴いて、まだよく音楽も知らなかったくせにそう感じましたが
でもそれから30年以上が経ち、やっぱりその思いは変わりません。
しかし一方でこの曲はいい意味でロック的な破たんがありますね。
例えばLet It Beは幾何学的ともいえる整った美しさがあるけど、
Hey Judeは逆に曲としてはぎこちなさのようなものがあります。
特にBメロの部分は5小節のフレーズを2回繰り返し、
2小節と2拍の字余りの部分をくっつけてAメロに戻るのは、
音楽学校の作曲テストなら落第点になるかもしれません。
でも、この曲の場合はそこが即興的な面白さであり、
人間性を感じる部分ではないかと思います。
そこで整えるために手を加えるのよりは多少ぎこちなくても
思いついたまま歌にしてしまえという勢いがありますね。
ジョンが作ったHelp!もそうしたぎこちなさがカッコよさでもありますが、
ロックという音楽はそういう要素も必要だと思います。
コーラスワークも繊細で新鮮な響きでいいですね。
2回目のAメロでコーラスでBメロが対位法で入ってきて
ポールの歌とぶつかる部分は今聴いてもスリリングでカッコいい。
最後の有名な「ななな~な~」のコーラスの部分は、
そういえばゴスペルの遠い影響なのかもしれない。
この曲が入ったアメリカ編集のLP、HEY JUDE、写真03は
僕が生まれて初めて買ったビートルズのLPでした。
中途半端なベスト盤ですが、FMで録音した曲も数曲入っているし、
それ以上にとにかくこの曲を聴きたくて買ったのでした。
最初である以上、やっぱり思い入れが深いですね。
当時、僕がこれを買ったと話すと、今は栃木にいる友だちが、
写真01の昔のドーナツ盤を持ってきて見せてくれたのが羨ましくて、
僕もすぐにレコレコで中古のシングルレコードを探して買いました。
当時はまだ新品より安くビートルズのドーナツ盤が普通に中古で
ありましたが、今はもう値段が上がっているでしょうね。
僕はこれをきっかけに中古ドーナツ盤を集めるようになりましたが、
いまだすべては揃っていません、早く探して買わないと(笑)。
またこの曲は、僕が中3でギターを弾き始めた時に買った
ヤマハのギターの教則本に楽譜が載っていたので、一部分だけど
初めてギターで弾いた曲のひとつということにもなります。
キィはFで、バレーコードの練習として出てきたんじゃないかな。
あの教則本はまだあるのかな。
ちなみに僕はギターを弾くまで学校の音楽のペーパーテストが
苦手だったけど、ギターを弾くようになってほぼ満点になりました。
どうでもいいような話だけど、僕は少なくとも中学時代はほんとうに
ビートルズバカだったから、洋楽に興味を持つようになり、
グラミー賞というものの存在を知り、Hey Judeはあんなに売れたのに、
同じ年に賞を取ったのはサイモン&ガーファンクルのMrs. Robinson
であったことを知り、S&Gが大嫌いだった時期がありました。
まあでもグラミーはアメリカの賞なので、アメリカ人に有利に働く
というからくりがあるわけだし、賞を取るか取らないかは
歌の良し悪しとは基本的には関係ないですからね。
当時のアメリカの業界の人は打倒ビートルズに燃えていたらしいから。
ただ、Mrs. Robinsonを聴くと今でも当時の悔しい気持ちを
思い出すことがあるのはまた事実なので書いておきました(笑)。
この曲は7分5秒あり、ビルボード誌のシングルでNo.1になった中では
演奏時間がいちばん長い曲という記録も持っています。
ただしこれは、シングルでリリースされた形としてという意味で、
例えばデヴィッド・ボウイのLet's Danceや
ダイア・ストレイツのMoney For Nothingのように
アルバムヴァージョンでは7分5秒より長い曲もあります。
また、ドン・マクリーンのAmerican Pieは8分以上ある曲ですが、
ラジオで人気を呼んでシングルカットされる際に、長いので
曲を途中で切って前半をPart.1としてA面に入れ、
それがNo.1に輝いたということでシングルの記録上では
あくまでもPart.1だけが対象になっています。
そして僕のこの曲のいちばんの思い出は、
ポール・マッカートニーがコンサートで歌詞を間違えたことです。
1990年3月の来日公演で僕は東京ドームに3回行きましたが、
その最初、全体で2日目のコンサートだったと思う、
ポールが歌詞を間違ったのです。
具体的には最後のリフレインに入る直前の本来なら
"Remember to let her under your skin"の部分を
"Remember to let her into your heart"と歌いました。
でもこれ、オリジナルの歌詞がちょっとひねってあって、その部分は
歌の中で4回あって"heart"と"skin"が交互に出てくるようにするために、
最後のところでは"heart"を"skin"に変えているのです。
でもポールはうっかり"heart"で歌ってしまったのでしょう。
他の2回のコンサートでは間違っていなかったので、
歌詞を変えたということでもないようでした。
間違ったのはポールからすればプロとして恥ずかしいことでしょうけど、
聴いていた僕はなんだかうれしかった。
もちろんポールのそんな人間臭い部分に触れられたこともあるんだけど、
僕はその部分は"heart"のほうがいいんじゃないかなと、高校時代から
ずっと思っていたので、やっぱりそうだったのかな、と思ったことも。
最後の部分で会場が歌う際に、「右側の人」「左側の人」「真ん中の人」
とポールが指示してその通り歌ったのも感動しました。
04
普通の一日に感謝する日。
僕は、A公園の仲間で「森の家」に集まって話していました。
Hey Judeはロック界でも最高のアンセム、勇気づけ励ます曲、
真に感動する名曲のひとつだと思います。
歌詞でもこう歌っていますから。
Then you can start to make it better
きっとよくなるのです。
亡くなられた方へ哀悼の意を表するとともに、
早くの復興をお祈りしております。
Hey Jude The Beatles
ヘイ・ジュード ザ・ビートルズ
(written by John Lennon - Paul McCartney)
3月11日ですね。
今年のこの日は僕なりの思いを記事にしようと思ってきました。
あくまでも僕なりに、ですが、昨年の今頃は、この日をはさんで、
ビートルズの僕が好きな10曲の記事を上げていたことを思い出し
その続きのようなかたちでこの曲について話すことにしました。
ビートルズの好きな10曲は僕の場合決して固定ではなく
その時の思い、気分などでいかようにも動きます。
というより「好きな10曲を挙げて」といわれて挙げてゆくと、
30曲くらい、比例代表の名簿のように並んで出てきます・・・
だからあまり細かいことは指摘しないでください(笑)。
今回、この曲を選んだのは、やはりこの曲に込められた思いが
この日にはふさわしいと僕が感じるからです。
☆
Hey Judeは1968年8月30日、英国でシングルがリリースされました。
B面はRevolutionで、この曲はレス・ポール氏追悼として
先に記事を上げています、ご興味があるかたはこちらへどうぞ。
Hey Judeはビートルズ最大のヒット曲で、ビルボード誌では
1968年9月28日付から11月23日付まで9週連続No.1に輝き、
その年のシングルの年間チャートで1位となりました。
ビートルズでは最もヒューマンな感動を覚える曲で、
あれだけ大物になっても純粋な心を持ち続けていたことにより、
人はここまで大きな力で人を感動させることができるのかという、
ビートルズのみならず商業音楽の到達点ともいえる曲でしょう。
ビートルズ自身も絶頂期でした。
コンサート活動を止めて創作に専念し、アップルを立ち上げ、
最初のシングルが最大のヒットとなったことで、4人はその先、
洋々を超えて宇宙的な広がりを見せてくれるはずでした。
しかし、周りにうごめく人たちの思惑に巻き込まれて、
ビートルズは思いのほか早く終わってしまいました。
後の人間が振り返ると、輝きと挫折が表裏一体だった、
その危うさが逆に芸術的なスパートになっていたのかもしれない、と。
この曲はポール・マッカートニーが、ジョン・レノンの息子である
ジュリアン・レノンを励まそうと書いた曲であるのは、
今では知られるところとなっています。
ジュリアン・レノンがデビューした時僕はこの話を知っていたので
「あのジョン・レノンの息子」という思いとともに、或いはそれ以上に、
「あのHey Judeを生み出すきっかけの人」と思ったものでした(笑)。
ここでいつもの「ジョン・レノン・プレイボーイ・インタビュー」から、
この曲に関するジョンの言葉を引用します。
(引用者は改行、一部表記変更を行っています)
JL:あの歌はジュリアンについてのものだって
ポールは言ってたな。
ぼくがシンシアと別れることになって、ジュリアンをシンシアの
ところに残すのを、ポールは知ってたんだ。
ポールはジュリアンに会いに行ってくれていて、
叔父さんみたいにしてくれたんだ。
それで『ヘイ・ジュード』ができたのさ。
でも、ぼくは、あれを聴くといつも、ぼくへの曲だと思ってたな。
こんなことを言うと、ぼくも、歌に何らかの意味をもたせようとする
ファンたちみたいになっちゃうな・・・・・・こういうことさ。
ヨーコがぼくらの生活の中に入ってきたばかりだった。
ポールはよく「ヘイ・ジュード」って言ってたよ。
つまり、「ヘイ・ジョン」さ。
潜在意識では、ポールは「いいよ、ぼくらと別れてもいいよ」
って言ってたのさ。
でも、意識の上では、ぼくがそうするのは望んでいなかったんだ。
ポールの心の中の優しい部分は「神の祝福を!」って言ってたんだ。
意地の悪い部分は、ぼくがしようとしていたことが
全く気に入らなかったんだ。
パートナーを失いたくなかったからさ。
あ、歌に意味を持たせるファンって、もろ僕のこと・・・(笑)・・・
それはともかく、ジョンのポールへの思いの部分は複雑だけど、
ポールの優しい部分を認めていたことが分かってほっとします。
シンシアとはジョンの前の奥さんのことですね。
この曲の挿話は「ビルボード・ナンバー1・ヒット(上)」(音楽之友社)
にも収められていて、そこにはポール自身の1973年のインタビュー
からの言葉もあるので引用します(同)。
PM:たまたまドライブをしていてシンシアに会った。
シンシアはジョンと別れたばかりで傷心の日々を送っていた。
2人の息子のジュリアンはとてもいい子で、
ぼくたちは友達だったんだ。
車の中で「ヘイ・ジュール」"Hey Jule"って歌い出した。
それからジュールよりジュードのほうがいいと思った。
別にルークでもマックスでもよかったんだけど、
やっぱりジュードがぴったりだった。
同じ物事を2つの面から見ている相違が面白いですね。
ポールは会いに行ってくれたのではなくたまたま会ったとか、
ジュリアンの「叔父」ではなく「友達」だったとか。
しかし僕が興味深いのはやっぱり歌に関する部分ですね。
ポールは車の中で歌い出したというのは、即興でしょうけど、
それはこの曲が作られたものではなくその時の感情が
ポールの感性でそのまま歌になってしまったということでしょう。
もちろんその後は発展させて作ったのでしょうけど。
そして、やっぱりHey LukeやHey Maxじゃ少なくともこの歌の持つ
柔らかい旋律の雰囲気にはそぐわないですよね。
この話はポールの旋律と言葉の絡みで素晴らしい歌を生み出す
天賦の才能を証明しています。
でも、またここで歌に意味を持たせるファンとして言えば(笑)、
LukeはLucyでMaxはMaxwellが頭にあったのかなって・・・
その本には別の挿話も紹介されているので引用します(同)。
婚約者のジェーン・アッシャーと別れたポールが自分自身に
呼びかけた曲という説もある。
1968年9月にこのシングルがリリースされた時ジョンは
「ポールが初めて『ヘイ・ジュード』を歌ってくれた時、
とても個人的に感じ入るところがあって、
この曲はぼくのことを歌っているんだと思った。
ジュードはぼくだって叫んだ。
するとポールは、違うよぼくさ、って言ったよ」と語っている。
まるでジョンとポールがこの曲の取り合いをしているようで
微笑ましい話ですが、いずれにせよHey Judeは
個人の感情が入りやすい曲であるのは確かですね。
02 シングル20周年記念12インチピクチャーシングル盤
もう1冊の本、「ビートルズ・レコーディング・セッション」を見ると、
この曲は1968年7月29日と30日にアビィ・ロードの第2スタジオで
基本のトラックが録音され、翌7月31日にトライデント・スタジオで
リメイク作業が行われ、8月1日にオーケストラのオーヴァーダブ、
その後ミックスが施されて完成しました。
注目すべきは、この曲はビートルズにとって初めて
8トラックで録音された曲であるということです。
当時は特にポールが新しい機材に高い興味を持っていましたが、
7月31日にトライデントに行ったところ、それまで知らなかった
8トラックの録音機材があるのを発見し、早速使ってみたい
ということでまったく新規に録音をし直しました。
ポールがピアノとヴォーカル、ジョンがギター、
ジョージ・ハリスンがフェンダー6弦ベース、
そしてリンゴ・スターがドラムスとタンバリン。
録音作業の中で面白いのは、Hey Judeと歌う部分になると
ジョージがそれに呼応したフレーズを弾こうとするのを
ポールが思いとどまらせたということで、その辺のセンスの
シャープさもポールならではでしょうね。
もうひとつ、オーケストラのパートを録音した際に、
最後のリフレインの部分のコーラスと手拍子に参加すると
ギャラが倍になるということで、オーケストラのメンバーの
ほとんどがよろこんで参加した中、たったひとりだけ、
ポール・マッカートニーなんかの曲で手拍子なんかできるかと
そそくさと帰ってしまった人がいたそうです。
この曲はプロモーションフィルムも印象的ですね。
当時はビデオではなくフィルムでしたが、スタジオライヴ形式で、
ポールがドアップで歌い始め、カメラがだんだん引いてきて
ポールがピアノを弾きながら歌っていることが分かります。
ジョンはカジノを持ち2番目のヴァースから弾き始め、
リンゴもタンバリンで同じく入ってきます。
ジョージはフェンダーの6弦ベースを弾いていて、
歌が進んで最後のリフレインのところで一般の人々が
スタジオになだれ込んできて大合唱で終わるというもの。
このクリップに価値があるのは、演奏もライヴで録られていることで、
それは彼らの本気度を表すとともに、久しぶりに人前で
バンドで演奏したかったのかもしれないですね。
この記事を書くのに久しぶりに見たけどやっぱり感動しました。
ポールが顔が真っ白で瞳が緑だ、とか思いながら(笑)。
03 僕が生まれて初めて買ったビートルズのLP
個人的な思いや思い出も少し。
この曲は僕が中2の夏休みにNHK-FMで録音して初めて
聴いたビートルズの曲の中にもちろんありました。
最初に聴いて、「この曲知ってる」状態でした。
ビートルズの曲だとは知らずもちろんタイトルも知らない、だけど
スーパーのBGMで歌がない軽音楽風のアレンジのもので
よく流れていたのを耳にして覚えていました。
Hey Jude、僕は世の中で最も旋律が美しい歌だと思います。
最初に聴いて、まだよく音楽も知らなかったくせにそう感じましたが
でもそれから30年以上が経ち、やっぱりその思いは変わりません。
しかし一方でこの曲はいい意味でロック的な破たんがありますね。
例えばLet It Beは幾何学的ともいえる整った美しさがあるけど、
Hey Judeは逆に曲としてはぎこちなさのようなものがあります。
特にBメロの部分は5小節のフレーズを2回繰り返し、
2小節と2拍の字余りの部分をくっつけてAメロに戻るのは、
音楽学校の作曲テストなら落第点になるかもしれません。
でも、この曲の場合はそこが即興的な面白さであり、
人間性を感じる部分ではないかと思います。
そこで整えるために手を加えるのよりは多少ぎこちなくても
思いついたまま歌にしてしまえという勢いがありますね。
ジョンが作ったHelp!もそうしたぎこちなさがカッコよさでもありますが、
ロックという音楽はそういう要素も必要だと思います。
コーラスワークも繊細で新鮮な響きでいいですね。
2回目のAメロでコーラスでBメロが対位法で入ってきて
ポールの歌とぶつかる部分は今聴いてもスリリングでカッコいい。
最後の有名な「ななな~な~」のコーラスの部分は、
そういえばゴスペルの遠い影響なのかもしれない。
この曲が入ったアメリカ編集のLP、HEY JUDE、写真03は
僕が生まれて初めて買ったビートルズのLPでした。
中途半端なベスト盤ですが、FMで録音した曲も数曲入っているし、
それ以上にとにかくこの曲を聴きたくて買ったのでした。
最初である以上、やっぱり思い入れが深いですね。
当時、僕がこれを買ったと話すと、今は栃木にいる友だちが、
写真01の昔のドーナツ盤を持ってきて見せてくれたのが羨ましくて、
僕もすぐにレコレコで中古のシングルレコードを探して買いました。
当時はまだ新品より安くビートルズのドーナツ盤が普通に中古で
ありましたが、今はもう値段が上がっているでしょうね。
僕はこれをきっかけに中古ドーナツ盤を集めるようになりましたが、
いまだすべては揃っていません、早く探して買わないと(笑)。
またこの曲は、僕が中3でギターを弾き始めた時に買った
ヤマハのギターの教則本に楽譜が載っていたので、一部分だけど
初めてギターで弾いた曲のひとつということにもなります。
キィはFで、バレーコードの練習として出てきたんじゃないかな。
あの教則本はまだあるのかな。
ちなみに僕はギターを弾くまで学校の音楽のペーパーテストが
苦手だったけど、ギターを弾くようになってほぼ満点になりました。
どうでもいいような話だけど、僕は少なくとも中学時代はほんとうに
ビートルズバカだったから、洋楽に興味を持つようになり、
グラミー賞というものの存在を知り、Hey Judeはあんなに売れたのに、
同じ年に賞を取ったのはサイモン&ガーファンクルのMrs. Robinson
であったことを知り、S&Gが大嫌いだった時期がありました。
まあでもグラミーはアメリカの賞なので、アメリカ人に有利に働く
というからくりがあるわけだし、賞を取るか取らないかは
歌の良し悪しとは基本的には関係ないですからね。
当時のアメリカの業界の人は打倒ビートルズに燃えていたらしいから。
ただ、Mrs. Robinsonを聴くと今でも当時の悔しい気持ちを
思い出すことがあるのはまた事実なので書いておきました(笑)。
この曲は7分5秒あり、ビルボード誌のシングルでNo.1になった中では
演奏時間がいちばん長い曲という記録も持っています。
ただしこれは、シングルでリリースされた形としてという意味で、
例えばデヴィッド・ボウイのLet's Danceや
ダイア・ストレイツのMoney For Nothingのように
アルバムヴァージョンでは7分5秒より長い曲もあります。
また、ドン・マクリーンのAmerican Pieは8分以上ある曲ですが、
ラジオで人気を呼んでシングルカットされる際に、長いので
曲を途中で切って前半をPart.1としてA面に入れ、
それがNo.1に輝いたということでシングルの記録上では
あくまでもPart.1だけが対象になっています。
そして僕のこの曲のいちばんの思い出は、
ポール・マッカートニーがコンサートで歌詞を間違えたことです。
1990年3月の来日公演で僕は東京ドームに3回行きましたが、
その最初、全体で2日目のコンサートだったと思う、
ポールが歌詞を間違ったのです。
具体的には最後のリフレインに入る直前の本来なら
"Remember to let her under your skin"の部分を
"Remember to let her into your heart"と歌いました。
でもこれ、オリジナルの歌詞がちょっとひねってあって、その部分は
歌の中で4回あって"heart"と"skin"が交互に出てくるようにするために、
最後のところでは"heart"を"skin"に変えているのです。
でもポールはうっかり"heart"で歌ってしまったのでしょう。
他の2回のコンサートでは間違っていなかったので、
歌詞を変えたということでもないようでした。
間違ったのはポールからすればプロとして恥ずかしいことでしょうけど、
聴いていた僕はなんだかうれしかった。
もちろんポールのそんな人間臭い部分に触れられたこともあるんだけど、
僕はその部分は"heart"のほうがいいんじゃないかなと、高校時代から
ずっと思っていたので、やっぱりそうだったのかな、と思ったことも。
最後の部分で会場が歌う際に、「右側の人」「左側の人」「真ん中の人」
とポールが指示してその通り歌ったのも感動しました。
04
普通の一日に感謝する日。
僕は、A公園の仲間で「森の家」に集まって話していました。
Hey Judeはロック界でも最高のアンセム、勇気づけ励ます曲、
真に感動する名曲のひとつだと思います。
歌詞でもこう歌っていますから。
Then you can start to make it better
きっとよくなるのです。
亡くなられた方へ哀悼の意を表するとともに、
早くの復興をお祈りしております。
Posted by guitarbird at 19:54
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