Penny Lane ザ・ビートルズ

guitarbird

2015年09月07日 21:29

01


Penny Lane The Beatles
ペニー・レイン ザ・ビートルズ
 (1967)

【2015年9月16日 追加補足】

ビートルズの公式プロモーションフィルム集DVD
2015年11月6日、世界同時発売されるとアナウンスがありました。
数日前からビートルズのFacebook公式サイトで
謎のカウントダウンが始まったのは、この発表だったようです。
「めざましテレビ」でその話題を観ましたが、なんと
そこで使われていたのがPenny Laneの曲とこの映像でした。
なんという嬉しい偶然。
もちろん先に内部情報を得ていたわけではないですよ(笑)。



本日はビートルズの1曲に注目した記事です。

最近よく口ずさんでいる曲のひとつで、数日前、
何の前触れもなしに突然頭に浮かんで口ずさみ、
あらためて素晴らしい曲だなと思い直しました。
別に今まで好きではなかったなどということはもちろんないですが、
何年何十年とずっと聴き続けている曲でも、或る日ふと、
魅力を再発見することはよくありますね、少なくとも僕は。

Penny LaneはStrawberry Fields Foreverとのカップリングで、
1967年2月17日、英国でシングルがリリースされました。
僕が母のお腹の中にいた頃ですね。
当初こちらがB面、Strawberry Fields ForeverがA面扱いでしたが、
チャートでヒットしたのはPenny Laneの方で、ビルボード誌で
ビートルズ13曲目のNo.1ヒット曲となりました。

今回は『ビートルズ・レコーディング・セッションズ』から、
この曲の録音の様子を見てゆきたいと思います。
なお、引用者は適宜改行や表記変更等を行っています。

***

◎1966年12月29日、30日
ポール・マッカートニーは1965年11月のインタビューで、
"Penny Lane"という名前の詩的な響きが好きなので、
このタイトルで曲を書こうと思っている、と述べた。
「ペニー・レイン」とは、リヴァプールの中心街のすぐ南、
ビートルズが育った地域に近い通りの名前だ。

彼が実際にそれを書いたのは1年後だったが、店や人々の様子、
そして「郊外の青い空 "blue suburban skies"」を描写した彼の
Penny Laneは、ジョン・レノンのStrawberry Fields Foreverと
完璧に対をなしていた。
リヴァプールを離れてから3年以上経ったこの時期に、
なぜ彼らが2人とも、スタイルこそ違えど、故郷の町を題材にした
曲を書いたのか、その理由は分からない。
しかし、共通するテーマをもつこの2曲は、1967年2月に
強力なシングルとなってリリースされる。
もっともこの時点では、どちらもニューアルバムに
収録されることになっていた。

Penny Laneの際立った要素のひとつとして、
キーボードのサウンドが挙げられる。
この晩のセッションは、全て各種キーボードの録音に充てられた。
特に重要なのはメインのピアノパートで、ポールはこれに細心の
注意を払い、満足の行くサウンドを得ようと6テイクを録った。
ただし、完全ヴァージョンは第5及び第6テイクだけで、
このピアノは4トラックテープのトラック1に収められる。
第6テイクをベストに選ぶと、彼はスタジオでひとり
キーボードに向かい、オーバーダブの作業に移った。
トラック2のピアノパートは、ヴォックスのギターアンプにつなぎ、
リヴァーヴをかけ、音質をまったく変えた。
トラック3ではまた違った効果を得るため、速度を半分に
落として弾き、リプレイでスピードアップする。
さらにトラック4に、これもヴォックスのギターアンプに通して
録った非常にピッチの高い2音のハーモニウムと、
各種の奇妙なパーカッションエフェクトなども加えた。

29日のレコーディングはここまで。
翌30日には、これら4トラックを1トラックにミックスダウンし、
またオーバーダブの工程を繰り返す。
今までの録音分からラフものミックスを2種類作成。

なお、この日はまだ曲名が決まっておらず、30日に
Penny Laneと決まり、レコーディングを再開。
この日のオーバーダブが済む頃には
夜中の12時をとうに過ぎ。オーバーダブの残りは
年明けも持ち越すことになった。


◎1967年1月4日、5日
スタジオに戻ったビートルズは
Penny Laneのレコーディングを再開。
4日は第7テイクに、ジョンの別のピアノパートと、
ジョージのリードギターをオーバーダブ。
ポールはトラック3にヴォーカルを加える。
5日はポールがさらに新しいヴォーカルをオーバーダブ。


◎1967年1月6日
さらにPenny Laneへのオーバーダブ。
ポールのベース、ジョンのリズムギアー、リンゴのドラムスを録る。
楽器の音は全て、エンジニアのジェフ・エマリックが大胆に
リミッター処理し、リプレイでスピードアップするよう47 1/2Hzで録音。
ジョンはコンガもオーバーダブしたが、これもリミッターをかけ、
スローで録音した。
テープの4トラックがまたいっぱいになったので、新たに
リダクションミックスを行い、第7テイクから第8テイクを作る。
こうしてできた2つの空きトラックに、
ジョンとジョージ・マーティンのピアノ、手拍子、ジョンとポールのと
ジョージのスキャットハーモニーをスーパーインポーズ。

最後に再び、第8テイクを第9テイクにリダクションミックスし、
4トラックテープに2トラックの空きを作った。


◎1月9日、10日、12日
クラシック楽器やパーカッション、SEなどのオーバーダブを行う。


◎1月17日
Penny Laneにはまだ何か足りないものがあった。
ポールは1月11日水曜日の深夜、自宅でテレビを観ていて
それが何であるかに気づいた。
「彼(ポール)は、ギルフォードの大聖堂におけるコンサートで、
私がバッハの「ブランデンブルク協奏曲」を英国室内楽団と
共演しているのを見たんです」とデヴィッド・メイスンは言う。
彼はビートルズのセッションに駆り出され、ミュージシャンズ・ユニオンの
特別レートで27ポンド10シリングの報酬を受けた。
「翌朝電話をもらって、数日後にスタジオに行きました。
9台のトランペットを持って行ったんですが、
それであれこれやってみて、消去法で楽器を絞り、
Bフラットのピッコロ・トランペットを使うことにしたんです」
メイスンがどんなプレイをするかについては、何も決まっていなかった。
「3時間かけて考えましたよ」とメイスン。
「こんなのをやってほしいというメロディーをポールが歌い、
ジョージ・マーティンがそれを採譜して、私がいちいち試しながらね。
でも実際のレコーディングはあっという間でした。
すごく高音で、かなり苦労しましたけれど、既録音のテープを
回しながら、オーバーダブとして2テイク録ったんです。
トランペットの音は後でスピードアップしたものだと、
いろんな本に書かれていますが、それは事実じゃありません。
だって、私は今でもレコードに合わせて、
あの通りプレイができるんですから」
もうひとつ訂正しておこう。
メイスンがロンドン・シンフォニー・オーケストラの団員だった
というのは誤りである。
「ニュー・フィルハーモニアにいたんです。
今では単にフィルハーモニアという名前になりましたが、
いまだに(本の刊行は1988年)在籍しています。
長年一流のオーケストラと演奏してきたというのに、それよりも
Penny Laneのプレイで名を上げましたよ!」
このセッションに関して、特にメイスンの記憶に残っていることがある。
「指揮をとっているのはポールのようでしたし、私ひとりの
録音だったんですが、他のメンバーも全員そこにいましてね。
みんな変テコな恰好をしていたんです・・・
派手なストライプのズボンとか、黄色いクチャクチャの蝶ネクタイとか。
それでポールに、撮影でもしていたのかと尋ねました。
映画のセットから抜け出してきたような服装でしたからね。
するとジョン・レノンがこう言いましたよ。
『ううん、違うよ、これが僕らの普段着なのさ!』」
メイスンによる2つのトランペット・オーバーダブ
(ミドル・エイトのソロとエンディングの華やかなプレイ)を最後に、
Penny Laneのレコーディングはすべて終了した。
録音開始から3週間になんなんとしていた。
この晩のうちにさらに3種類のモノ・リミックスが作成され、
「リミックス11」がベストとなる。
こおのリミックスはただちにコピーされ、至急便でアメリカに送られた。


◎1月25日
Penny Laneのリミックスは、「リミックス11」がベストとされ、
アメリカ製のプレスのためにコピー・テープが
キャピトルへと送られていた。
しかし、さらに考慮した結果、やはりこのリミックスでは
不充分だということになった。
まだ改善の余地があるとして、この日3種の新しいモノ・ミックスが
作られ、最後の「リミックス14」が新たなベストと認められる。
リミックス11と14の主な相違は、エンディングの
デヴィッド・メイスンのトランペットが幾分削られた点だ。
イギリスでは新旧のリミックスの差し替えが間に合ったものの、
アメリカではリミックス11を使ったシングルが既に若干数プレスされ、
発売前のプロモーション/放送用コピーとして
アメリカのラジオ局に配られた後だった。
一般リリース用には正規のミックス(リミックス14)が使用されたものの、
これらのプロモ・コピーは、ビートルズの全レコードの中でも
特に人気のコレクターズ・アイテムとなっている。


◎2月17日
シングルStrawberry Fields Forever / Penny Lane 英国で発売。
アメリカでは先に2月13日にリリース。


***


1月17日のデヴィッド・メイスンはもちろんというか
あのデイヴ・メイスンとは別人。
しかしそのメイスンさんのお話がいいですね。
当時を懐かしむ気持ちと音楽家としての矜持が伝わってきます。
ちなみに、フィルハーモニア管弦楽団はレコードも多く出ていて
僕もかつて何枚か買ったことがあるので、このデヴィッド・メイスンさんの
演奏をクラシックでも耳にしていたかもしれないと思うと嬉しいですね。

それにしてもジョンの普段着発言は可笑しい。
確かに、彼らの普段着は、なんというか、だっさー、と・・・
ダサカッコいい、というのではなく、そういうのが多かった。
いくらビートルズでもこれだけは真似したくないと
10代の頃は思ったものでした(笑)。
ああ、あとタバコも真似したいとは思わなかったけれど。


02


続いて、ジョン・レノンのこの曲への言葉を、いつもの
『ジョン・レノン・プレイボーイ・インタビュー』から。

***

ぼくが住んでいたところをテーマにしたポールの曲。
「ペニー・レイン」は単なる通りじゃなくて、
たとえばタイムズ・スクエアやコロンビア・アヴェニューみたいに
ある一画の呼び名なんだ。
そこは郊外にあって、4歳までぼくが両親と住んでいた。
ぼくの父は船員だったから、いつも海にいた。
祖父もいっしょに同じ家に住んでいた。
この家はビートルズの生い立ち物語や、「イエロー・サブマリン」で
みんながいつも思い浮かべるあの長屋式の家のひとつだった。
4人の労働者階級のはなたれ小僧時代の話さ。
とにかく、僕は歌詞を多少書いているけれど、どこだったか覚えがない。
メロディはすべてポールのものだ。


***

ジョンはこの曲は好きだったようですね。
ただ、このインタビューでは、ポールが書いたいい曲を素直にいいと
いう場合と言わない場合があって、この曲は後者。
そういう時は多少の嫉妬心があるのではないかと(笑)。

逸話をひとつ。
リヴァプールの思い出を歌ったこの曲ですが、当時の(今も?)英国は
地域の対抗心が激しく、どこか特定の地域のことを歌うと、
他の地域からはそっぽを向かれ下手すると批判されるとして、
関係者や批評家などが懸念していたとのこと。
しかし、曲の力がその影響を最小限にとどめ、見事ヒット。
ポールはその後も特定の地域を歌ったMull Of Kintyreを出し、
大ヒットさせましたが、ポールの場合は音楽に普遍性があるので、
曲自体を楽しめる、ということなのでしょうね。
ただしMull...はアメリカではまったく受けなかったのですが、
これは地域以上にお国柄、国民性の違いでしょうか。


03


さて、僕とこの曲の話。

8月下旬から9月は、僕にとって
「ビートルズに戻る」時期なのです。
二十四節気でいえば「処暑」から明日の「白露」の頃か。
もちろん当時は若かったしそんなことは思わなかったけれど。

1981年、中2の夏、NHK-FMで、何日かに渡って、1960年代
洋楽の名曲を紹介する短期特集の帯番組がありました。
「FMファン」を購読していた僕は、正確には父が買っていましたが、
その番組を見つけ、ビートルズの曲だけカセットテープに
録音しようと思いました。
うまい具合に90分テープ1本でちょうど収まりました。
最初は、「録音しよう」と思っただけで、「聴こう」とは思わなかった。
音楽そのものよりも、カセットテープによるエアチェックという行為が
楽しいと感じ始めていた頃だった、というのがその理由です。
しかし、いざ録音すると、歌の良さに取り付かれたように聴きました。
番組の最後の回が確か8月25日、「FMファン」の中では夏休みだけど、
こちらではもう学校が始まっていた頃のこと。
今から23年前の今頃は、そのカセットテープを熱心に聴いていました。
その時のことは話せば記事が100くらい書けそうだから、
今回はPenny Laneだけについて話すと、なんだろう、
最初に聴いて最も心の中に響いてきた1曲でした。
僕はそれまで、「ノスタルジー」という言葉も意味も知りませんでした。
自分自身の経験ではない事象に対して「懐かしい」と感じさせるもの。
そういう感情が人間にはあることも、中学生のその頃に知りました。
爾来、僕の中でも「ノスタルジー」は音楽の重要な要素となりました。
30年経ってこの曲を聴き、その思いは変わらない。

22~5歳の頃って、人が最初に昔を懐かしく振り返る時期ではないか、と。
それまでは若くて前に進むことだけを考えていて、時により人により
過去を振り返るのは悪いことだ、とまで思ってしまう。
大学を卒業し、社会人になり、前に進む気持ちがある程度落ち着くと、
昔を振り返る、懐かしむ気持ちが自分の中で肯定される。
ポールがこの曲を書き上げたのも24歳の頃だし。

僕の場合、その頃にビートルズのアルバムがCD化され、
やっぱりビートルズっていいなあ、と最初に思い直した頃でもあり、
その中で聴いたPenny LaneやIn My Lifeで、昔を懐かしむことを
初めて前向きなこととして捉え始めたように感じています。

ジョン・レノンが書いたIn My Lifeが精神的な部分でのノスタルジーを
形にした曲だとすれば、ポールのPenny Laneは物質的なものを
描写することによりそれを表した曲といえるでしょう。
ジョンのその思いはStrawberry Fields Foreverに引き継がれますが、
その曲とPenny Laneがシングルのカップリングというのは、
偶然のようで、そうなるべきものであったのかもしれないですね。

ただし、自分で言っておきながらなんですが、僕はこの曲を聴いて、
情景よりは子どもの頃の心、特に「好奇心」を思い出します。
その場所が自分は知らないというのもあるかもしれないですが、
子どもの頃の体験を通して感じた、そのことを思い出します。

この曲は、高校時代、初めてベースを買った際によく練習しました。
ポールは、ちょっとした曲のベースプレイが実はアイディアに溢れていて
素晴らしいことを僕が認識し始めた頃で、ちょうどその頃、
ポールのベースに特化した楽譜が出たので買って練習しました。
だから僕は今でも、この曲を聴くと、ベースの音を無意識に追いかけ、
時にはベースの音をスキャットで口ずさみます。
曲の最初=Aメロは4分音符で音が下降していく。
サビ=Bメロはゆったりとした4ビート風の「旋律」になる。
その中にトリッキーなプレイが隠し味としてまぶされている。
この曲はピアノの曲という印象が強いですが、或いは管楽器、
実は「ベースの曲」でもあるのです。

ピアノの話をすれば、Aメロの4小節目、歌メロが裏に入る部分、
そこだけピアノが大きくなるアレンジは効果的ですね。
転調する前に、何というのでしょうか、低音から高音に上けて
「ダラーン」と弾くのもまた素晴らしいアレンジです。

サウンド面ではもうひとつ、ポール・マッカートニーの歌い方。
わざと上手く聴こえないように歌っている、僕はそう感じます。
歌手として許されるぎりぎりの緩い声で歌っている。
それは、子どもの頃の純真さ、好奇心を表しているようで、
この曲にはこの歌い方がまさにぴったり、と思います。


04


この曲は1994年、ポール2度目の来日公演で演奏されました。
1990年の1度目ではセットリストになかったのですが、2度目で
初めて演奏された曲では客の反応も1、2だったと記憶しています。
当時の僕はもう昔を懐かしむことを楽しむようになっていたし、
この曲はテンポは速めだけど根底にあるものはバラードなのだ、
という僕の考えが確認できた、そんな気になりました。
しかし印象的だったのは、キーボードのウィックス・ウィケンズ。
間奏のデヴィッド・メイスンさんが演奏したあの速いトランペットを
キーボードで再現し、場内には大きな拍手が起こりました。
僕はどっちも演奏できないけれど、キーボードで再現するのが
大変であることは想像に難くない。
今となっては1994年のコンサートが懐かしい。
同じ曲、二重のノスタルジー、といったところでしょうかね。

曲についてもうひとつ。
Penny Laneは現行のリマスター盤CDではステレオもモノラルも
「リミックス14」、最後のトランペットが短いヴァージョンです。
「リミックス11」はLP時代のRARITIEASに入っていますが、
CDでは収録されたものがないようです。

僕がNHK-FMで録音し最初に聴いたものは、
最後のトランペットが長い「リミックス11」だったのです。
その後早くにそれが収録されたMAGICAL MYSTERY TOURを
買って聴いたところ、最後のトランペットの音がなくてがっかり。
で、実は、僕はいまだに、最初に聴いた長い方が好きなようで、
今でも、今日も、この曲を聴いて最後の部分で、
「やっぱり長い方が好きだなあ」と思います。
三つ子の魂は恐ろしいですね(笑)。


さて、今回の映像は2本。

最初はビートルズのいわば「プロモ」映像。
当時はビデオはないので、プロモーションフィルム。
曲を映像化したものといえばそうですが、後半に出てくる
白い馬に乗った4人の姿、やっぱり彼らも英国人なんだなあと。




もうひとつはポール・マッカートニー2004年グラストンベリーのライヴ。
間奏、キーボードのウィックスに注目してくださいね。




05


ビートルズはこの年、1967年から、アルバムはアート、
シングルはポップとシングルという意識を強く打ち出しました。
Penny Laneはそれはそれでよく練られたいい曲だけど、
SGT. PEPPER'Sに入っていることは想像できない。
後にMMTのB面に収録されはしましたが、それは
EPをLP化する際にB面の素材として入れられただけ。
しかし、だからといってまったく関係がないわけではなく、
この曲を作った流れと創作意欲がSGT.につながったという点で、
この曲とStrawberry Fields Foreverのシングルは当時、
SGT.の予告編として大きな役割を果たしたようです。

ペニー・レインは心の中にある。
大切な曲です。

ところで、今回記事を書くに当たって気が付きました。
Strawberry Fields Forever / Penny Lane
のドーナツ盤がうちにない。
冒頭写真はリリース20周年記念のピクチャーレコードで、
B面曲だからB面を写したものです。

僕は10代の頃、ビートルズの昔のドーナツ盤を買い集めていました。
当時は中古レコード店で400円あれば買えました。
ほとんどすべて買ったつもりでいたのですが、調べると、
何枚かが欠けており、その1枚がよりによってこれだったのです。
なぜだろう。
単に首尾よく見つからなかっただけかな。

さて、では、中古レコードで探して買わなければならない。
ちなみに、以下のものも持っていませんでした。
Can't Buy Me Love
Nowhere Man
今買うとこの3枚だけでも5000円はするかな。
根気よく探そう。


最後は今日の3ショットにて。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。


06





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