いつものように
写真へのコメントも
大歓迎です!
今日は、自分の気持ちを落ち着かせるために、
あえてこの話題にしました(笑)。
01
REVOLVER The Beatles
リヴォルヴァー ザ・ビートルズ released in 1966
ビートルズのアルバムはまだ半分も取り上げていません。
BLOGを始めた頃には、早々にすべて上げるつもりでしたが(笑)。
能書きはともかく、これ行きます。
今回も、ビートルズのアルバム記事ではすっかりおなじみとなった
書籍
『ジョン・レノン PLAYBOY インタビュー』より、
ジョン自身の曲へのコメントを引用して書き進めます。
しかし、これ自体でもかなり長くなるので、今回は、
僕自身の思い出や思い、考えには触れずに、あくまでも、
ジョンのコメントに対してどう思うか、考えるか、に絞って触れます。
昨年の記事で、試しにどちらも書いてみた結果、
とても長くて読みにくい記事になってしまったので。
僕の思い出や思いは、
そう遠くないうちにまた上げさせていただきます。
なお、ジョンの言葉の引用部分(JL:)については、
基本的には本の文章のまま書き出しますが、時数制約の関係で
原文では平仮名のものを漢字に直した部分があることと、
改行は引用者が施して読みやすくしていること、
同じ曲についてのコメントでも、間に別の話がはさまったり
ページが飛んでいる場合は編集していること、そして、
前後の話や余談などで当該の曲と直接関係ない話は
引用者の判断により割愛させていただく場合もあることを
ご承知の上でお読みください。
02
デビュー20周年記念赤盤モノラルLP
Tr1=A1:
Taxman
JL:ジョージの歌のうちじゃ傑作に入るTaxmanを作ってた時に、
ジョージは僕に、電話で、助けてくれって頼んできたんだ。
いくつかパンチの効いたことを考えてやった。
助けてくれ、というのはそのことだったからね。
僕のところに来たのは、
ポールのところへは行けなかったからなんだ。
その頃なら、頼みに行っても、
ポールはジョージを助けなかったからさ。
僕だって助けたくはなかったさ。
ジョージの歌に手を貸してやるなんて、まっぴらだ、と思ったよ。
自分自身とポールのことで手一杯だったからね。
でも、ジョージが好きだったし、あの日午後電話をかけてきて
「この歌で手助けしてくれないかな」って言った時、
ジョージを傷つけたくなかったんだ。
僕は自分の気持ちを押えて、オーケーしたんだ。
ジョンとポールの時代が長く続いていて、
ジョージは取り残されていたんだ。
この時まで、※ジョージはソング・ライターではなかったからね。
歌手としてのジョージには、
アルバムの中の1曲を歌わせることにしていたんだ。
この曲について彼にしてやれた事は、実のところ、
(Declare the) pennies on your eye
という言葉と、他のちょっとした詞の部分だけさ。
GB:読んでいるとなかなか複雑な気持ちになりますね。
それでもジョンは基本的にはいい人だったようで、ほっとします。
※の部分、引用からは割愛しましたが、この話を始める時にジョンは、
この曲はジョージが「初めて」作った曲だと話していました。
しかし実際に、
ジョージ・ハリスンはここまでに、
2ndの
Don't Bother Me、
5thの
I Need You、
You Like Me Too Much、
6thの
Think For Youlself、
If I Needed Someone
と5曲を作曲しレコーディングしています。
しかしその発言は、それまでのジョージの曲は、ジョンからすれば
「とるに足らない、聴くにたえない曲だった」ということかもしれず、
ますます複雑な気持ちにさせられます。
Tr2=A2:
Eleanor Rigby
JL:最初の1行はポールので、残りは、基本的に僕のだ。
ポールは、結婚式の最中の教会にいる
エリナー・リグビーというメイン・テーマだけを持っていた。
彼はこのテーマが手元にあって、
手助けが必要なことも知っていながら、
僕に詞をつけてくれと頼まなかった。
その代わりに、あの時、
「オイ、君たち、詞を書き上げちゃってくれよ」
と僕らに声をかけたんだ。
EMIのどでかいスタジオの向こうで、録音をしたり、
アレンジや、何か他の事をしながらね。
その時、僕は、
昔、電話工事をやっていたロードマネージャーのメル・エヴァンスと、
そして後のロードマネージャーだがその頃は会計士見習いだった
ニール・アスピナールといた。
ポールは、この3人に向かってそう声をかけたんだ。
ものをそのへんに放り投げるみたいなやり方を彼にされて、
僕はばかにされたような気がして、傷ついた。
彼は実際は僕に詞をつけてくれと言おうとしたんだけど、
彼は、頼もうとしなかった。
僕が頭にきたのは、末期の頃のポールのこういった無神経さなんだ。
彼はとにかくそういう男だった。
彼にとってはそんなことはどうでもいい事なんだ。
僕はさし迫って1曲作らなければならなかったから、
そこにあったテーブルに、彼らと一緒に座りながら曲を書いたんだ。
ポールはなんで、あんな風なやり方をしなきゃならないんだろう
と思いながらね。
それでも、一部は一緒に書いたんだよ。
彼は中間のところが書けなかった、ほら、
Ahh, look at all the lonely people
ってとこさ。
ポールとジョージと僕とで色々こねくり回している時、
僕はトイレに行こうと思った。
その時、誰かがそのフレーズを口にした。
僕は振り向いて、「それだ!」って叫んだんだ。
ファーザー・マッケンジーのところははじめは
ファーザー・マッカートニーになっていたと思う。
でもポールは自分の父親が知ったら
きっと腹を立てると思ったんだろう。
バイオリンと美しいアレンジは僕の仕事じゃない。
ポールはその頃一緒にいたジェイン・アッシャーの影響で、
ヴィヴァルディが好きになっていたから、曲をアレンジする時
ストレートにそれを持ち込んだ。
(ジョンがバイオリンを弾く真似をしながら歌う)
♪Father McCartney, writing the words of a sermon
that no one will hear, no one comes near
GB:まずジョンのこの話の切り出しには驚きます。
ポール・マッカートニーの曲というイメージがあまりにも強いですし、
ジョンの言葉を「どこまで」信じるかが難しいところです。
「どこまで」というのは、「曲全体の何%くらい」、ということです。
最初のほうは、あたかもジョンがほとんど作ったような勢いで
話していますが、すぐに「一部は一緒に書いた」と言っています。
いずれにせよジョンの自負心をうかがいしることができます。
まあでも、そこまで考えると自分でもいやらしいとも思うし(笑)、
この曲は、初期の頃のように2人が一緒に作った名曲、
ということでいいのかもしれません。
ちなみに
ジェイン・アッシャーとは、当時のポールの恋人で、
後に
ジェイムス・テイラーの作品を手がけることになる
ピーター・アッシャーの妹。
03
閑話休題、朝の風景写真の1・・・北海道庁赤レンガ庁舎
(余談、この写真は1/31日に撮影したのですが、その頃は、
市内はほんとに雪が少なかったことがあらためて分かりました)
Tr3=A3:
I'm Only Sleeping
GB:この曲へのコメントはこの本にはありませんでした。
あるとずっと思って勘違いしていたので、ちょっと驚き(笑)。
Tr4=A4:
Love You To
GB:ジョージ作、本格的にインド音楽を採り入れ「ラーガ」ロック。
そもそもジョージ以外はインド人ミュージシャンで固められていて、
ジョンもポールもリンゴも参加してないし、コメントがなくて当然ですかね。
ジョンにもインタビュアーの頭の中にもこの曲はなかったのかも(笑)。
その代わりこれについてはひとつ別の話を。
僕が欠かさず見ている2つしかない地上波民放番組のひとつ(笑)、
『タモリ倶楽部』で以前、シタールを練習しようという回があって、
講師のインド音楽研究家の先生が、インドの音階の話の際に
この曲に触れて、さらっと弾きながら解説していました。
先生によれば、この曲で用いられているスケールは
「完璧な」インド音階ではないけど、かなり近くて、
「ジョージも惜しいところまで来ていたんだけどね」と話していました。
民放地上波でこの曲の話が聞けるなんて、うれしかったですね(笑)。
僕は実はかなり好きな曲ですが、僕の思いはまたの機会に。
Tr5=A5:
Here, There And Everywhere
JL:完全にポールの曲で、僕の好きなビートルズ・ソングのひとつ。
GB:短いけど、これだけで十分、気持ちが入ってうれしいコメント!
Tr6=A6:
Yellow Submarine
JL:この曲はポールの秘蔵っ子(ベイビィ)だ。
ドノヴァンが詞を手伝った。
僕も詞をいじった。
スタジオのライヴをそのままとったんだけど、
曲の基本はポールのインスピレーション。
彼のアイディアで、彼のタイトル、これは彼の曲だ。
もともとはリンゴのために書かれた曲だった。
GB:ジョンはこの曲が好きなようで、ほめてますね。
なんだかほっとするし、この曲の雰囲気そのまま。
この曲の場合は、
リンゴ・スターが歌ってこそ、ですね。
ただし、僕はちょっとだけ意外に思いました。
でもジョンは、こうしたフォークスタイルの曲は
元々好きなのかもしれません。
ドノヴァンが手伝ったというのもまた興味深いです。
外部の有名な人がビートルズの曲作りを手伝ったことが
はっきりと分かる曲は、これだけだと思いました。
Tr7=A7:
She Said, She Said
JL:僕の。面白い演奏だ。ギターがいいんだ。
ビートルズのツアーの休みにロサンゼルスでLSD経験の後で書いた。
その時たくさんの女の子と僕たちは楽しく過ごした。
すると、ピーター・フォンダが僕のそばにしょっ中来てはこう言うんだ。
「死ぬことがどんなものなのか、僕は知ってる」って。
彼は自分のLSD体験を語ってくれたけど、
僕らはそんな事、聞きたくもなかった。
LSDをやってるし、太陽は輝いていたし、60年代だし。
それにこの男が何者なのか僕は知らなかったんだ。
彼はまだ『イージー・ライダー』も何も作っていなかった。
ヘンリー・フォンダのことはかすかに知ってたけど、
ジェーン・フォンダはまだセックスシンボルにも政治的にも
なっていなかった。
もっともどちらにしても彼女の事をかっていないんだ。
それにしてもサングラスをかけたフォンダがしょっ中来ては囁くんだぜ
「死がどんな事か、俺は知ってる」恐ろしかったね、その時の気分は。
そういうことを僕に言わないで欲しいと言いたかった。
僕は今でも死ぬのがどんな事か知りたくない。
GB:最後の1行は、書いていても悲しくなってきました・・・
それについては、あえて何も言わないことにします。
ところで、
ピーター・フォンダは男性だけど
これはsheなのが面白いところですが、
Sheの方が語呂も意味もインパクトも何もかもいいですよね。
04
閑話休題、朝の風景写真の2・・・豊平川から札幌市街を望む
Tr8=B1:
Good Day Sunshine
JL:完全にポールの曲。
1行かそこら、僕が放り込んだかもしれないけどね。
GB:このコメント・・・微妙ですね。
多分、基本的にはジョンも好きなんだということで(笑)。
Tr9=B2:
And Your Bird Can Sing
GB:これもコメントありませんでした。
かなり好きな曲ですが、思いのたけはまたの機会に・・・
Tr10=B3:
For No One
JL:ポールの曲。
彼の曲の中では好きなやつだな。
これと、Here, There And Everywhereはいい曲だ。
GB:この曲をジョンが好きというのは、やっぱり、と思いました。
繊細な響きで、細やかな思いが映り込みやすい曲ですね。
だからジョンの思いも透けて見えるし。
Tr11=B4:
Dr. Robert
JL:これは僕のだ。ドラッグやピルがテーマさ。
つまり、僕自身についてだ。
最初の頃、ツアーで、
僕はあらゆるヤクを自分で持って歩いていた。
その後はローディ(ツアー・マネージャー)に持たせてたけどね。
GB:ビートルズとクスリのことについては、悩ましいところ。
彼らで唯一最大の嫌いな点は、やっぱりクスリの部分です。
ましてや今は、日本でも大麻が問題になっているだけに・・・
これについては、僕自身、自分の中には、
彼らのこの問題には目をつむるしかない、と思う部分と、
やはりそうではなく事実として見てゆかないといけない、
と思う部分がありますね。
事実というものは、忘れることはあっても、消せないですから・・・
Tr12=B5:
I Want To Tell You
GB:ジョージの曲で、ジョンのコメントはなし。
そういえばジョージの曲が3曲も入っているという点でも
このアルバムは画期的かもしれません。
しかし、ちょっとうがった見方をすれば、Tr2のコメントで、
ポールが曲を「仕上げてくれ」と言っていたことからも、
制作の時間が足りなくて、カバー曲はもう入れたくないし、
それでジョージの出番が増えただけかもしれません・・・
ジョージの東京ドーム公演の1曲目でしたが、それもまた別の機会に。
Tr13=B6:
Got To Get You Into My Life
JL:ポールのだ。
彼のベストソングのひとつだと思う。
僕が書いたものじゃないけど、歌詞がいい。
がんばれば、彼にもいい歌詞が書けるというサンプルがこれだ。
これは彼がLSDをやった経験を実際に描写したものだ。
少なくともLSD体験の結果生まれたことだけは間違いない。
GB:ジョンはよっぽど自分の歌詞に自信を持っているんだな・・・
ジョンは最大限の賛辞を贈っていますが、
そういえばこのアルバムのポールの曲については、
おしなべてジョンは評価が高くて、好きなようですね。
その点でも、音楽創作意欲が最高潮に達しつつある
充実した頃だったことがあらためて分かります。
それと、ジョンの曲は2曲についてコメントがないのに、
ポールの曲にはすべてコメントがあるのも興味深いところです。
(インタビュアーのせいかもしれないですが)。
しかし、やっぱり、クスリの件は引っかかる・・・
Tr14=B7:
Tomorrow Never Knows
JL:これは、僕の『チベットの死者の書』時代の曲。
このタイトル表現は、これまたリンゴ流(イズム)の言い回しだ。
はじめこの曲には、どうでもいいタイトルがついていた。
詞について、僕は少々自意識過剰になっていたんでね。
僕はいわゆるへヴィな哲学的詩の角(かど)をとるつもりで、
「リンゴイズム」を使ってみた。
GB:「リンゴイズム」というのは、ここでジョンが説明しているように、
物事の角をとって面白おかしく表現した言い回しで、
例えばA Hard Day's Nightというタイトルもそうです。
『チベット死者の書』は昨年読んだのですが、
「60年代のヒッピー文化のバイブル的書であった」
ということがその前書きに書いてあり、そのことを踏まえると、
この曲の不思議な響きの先にあるものが見えてくるのではないでしょうか。
とまあ、自分で打ちながら自分でも読み入ってしまいましたが(笑)、
やはり自分にとっては、彼らの足跡を辿って考えることは、
「写経」に近い行為なのかもしれません。
というのは大げさかな(笑)。
もちろん、記事を打つに当たって今日は2回聴きましたが、
聴いていると、だんだんと、自分の思いを書きたくなってきて、
途中からやはり、長くてもそうするかとすら思いました。
だけどやっぱり、今日はちょっと、それは出来ないな。
心の負担が大きすぎる。
というわけで、いつもの僕の記事とは毛色が違いますが、
ジョンのこの本の言葉は、すべてのアルバムについて
これからも進めてゆきますので、よろしくお願いします。
中にはコメントしている曲が少ないので、
1つの記事で引用と僕の思いを書いても長くならないアルバムも
あるかと思います。
05
この本、1981年刊行