2013年05月17日
芦別の廃線あと
01
仕事で行った芦別市内に、鉄道の廃線跡を見つけました。
三井芦別鉄道、1989年に廃線となったもの。
炭鉱の石炭を運び、旅客運送もしていましたが、
最終的には炭鉱の廃坑の前に貨物輸送も終えました。
割と最近のことだけど、僕はこれは知りませんでした。
なお、今回の情報はWikipediaを参照しています。
02
芦別から国道452号を夕張に向けて走っていると、
右手の端の向こうに、鉄橋とディーゼル機関車と貨車が見えます。
03
国道から道道115号(閉鎖中)が分かれたすぐの場所に
踏切の跡を利用した保存施設があり、見学することができます。
03
橋梁は金網が巡らされ立ち入ることはできませんが、
金網越しに写真を撮ることは可能です。
04
Wikipediaからの抜粋(引用者文章編集)。
ディーゼル機関車DD501と石炭貨車セキ3000が
炭山川橋梁に保存展示されている。
定期的に塗り直しており、冬季は鉄橋から地上区間に
移動のうえで保管し、傷みから守っている。
炭山川橋梁自体も、2009年(平成21年)1月22日に
国の登録有形文化財に登録された。
05
橋梁は国の有形文化財なんだ。
僕は橋をが密かに好きで、橋を見ると写真を撮りたくなる。
実際にこの橋梁は見栄えがするいいものだと思いました。
06
車両も春になるとここにわざわざ移動して展示されるんですね。
どうりで、国道を走っていて見えやすい場所にあるはずだ。
07
かつて「入山」という駅があった近くのまちの中には、
廃線跡と思われる平らな部分も見受けられます。
08
最後は、橋梁の上流側からの1枚。
木々の葉が出ると見られなくなる、春先だけの眺め。
廃線は残念だけど、記事を書くために経緯などを調べたところ、
力を入れて保存されていると知り、少しだけほっとしました。
芦別は市街地も大きくて立派ですが、かつては重要な
石炭集積地であったことが、あらためてよく分かりました。
ただ、今後、世の中の流れが変わり、石炭が見直されれば
炭鉱も復活する可能性もあるかもしれないですね。
さて、余談。
09
庭のレンギョウが咲きました。
この木は、特に何もしていないのに、
毎年たくさんの花を咲かせます。
10
仕事で行った芦別市内に、鉄道の廃線跡を見つけました。
三井芦別鉄道、1989年に廃線となったもの。
炭鉱の石炭を運び、旅客運送もしていましたが、
最終的には炭鉱の廃坑の前に貨物輸送も終えました。
割と最近のことだけど、僕はこれは知りませんでした。
なお、今回の情報はWikipediaを参照しています。
02
芦別から国道452号を夕張に向けて走っていると、
右手の端の向こうに、鉄橋とディーゼル機関車と貨車が見えます。
03
国道から道道115号(閉鎖中)が分かれたすぐの場所に
踏切の跡を利用した保存施設があり、見学することができます。
03
橋梁は金網が巡らされ立ち入ることはできませんが、
金網越しに写真を撮ることは可能です。
04
Wikipediaからの抜粋(引用者文章編集)。
ディーゼル機関車DD501と石炭貨車セキ3000が
炭山川橋梁に保存展示されている。
定期的に塗り直しており、冬季は鉄橋から地上区間に
移動のうえで保管し、傷みから守っている。
炭山川橋梁自体も、2009年(平成21年)1月22日に
国の登録有形文化財に登録された。
05
橋梁は国の有形文化財なんだ。
僕は橋をが密かに好きで、橋を見ると写真を撮りたくなる。
実際にこの橋梁は見栄えがするいいものだと思いました。
06
車両も春になるとここにわざわざ移動して展示されるんですね。
どうりで、国道を走っていて見えやすい場所にあるはずだ。
07
かつて「入山」という駅があった近くのまちの中には、
廃線跡と思われる平らな部分も見受けられます。
08
最後は、橋梁の上流側からの1枚。
木々の葉が出ると見られなくなる、春先だけの眺め。
廃線は残念だけど、記事を書くために経緯などを調べたところ、
力を入れて保存されていると知り、少しだけほっとしました。
芦別は市街地も大きくて立派ですが、かつては重要な
石炭集積地であったことが、あらためてよく分かりました。
ただ、今後、世の中の流れが変わり、石炭が見直されれば
炭鉱も復活する可能性もあるかもしれないですね。
さて、余談。
09
庭のレンギョウが咲きました。
この木は、特に何もしていないのに、
毎年たくさんの花を咲かせます。
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Posted by guitarbird at 20:49
│てっちゃん・鉄道模型